「平和」を覚える礼拝・「平和」についての学び

〔「平和」を覚える礼拝・「平和」についての学び〕2024年8月11

〔今週の御言葉 キリストの和解のもたらし手 エフェソ2章1422節〕

 

 主イエスは「平和を実現する人々は幸いである」と言われました。戦争や内戦などによって実際に戦争が生じている闘いの現場に赴き、平和を実現することのために尽力している多くの人々がいます。また争い合い、殺し合っている双方を仲介し、和平をもたらすようにと尽力している人々がいます。「平和」を標榜することは簡単ですが、それを現実の世界で実現することは困難です。戦争がないことが「平和」なのではありません。さらに進んで、人々の間に和解が為されていくことが真の「平和」です。そしてその「和解」とは、「わたしたち同士」の和解であるだけではなく、根源的に「神とわたしたち」との間の和解です。そしてそのために神は、御子をこの世に遣わしてくださいました。敵対関係に陥った神とわたしたちの間に「平和」をもたらすために、御子において神はわたしたちと「和解」してくださいました。神は、この「平和の福音」が世に広げられ、この世が「和解の福音」で満ち溢れることを願っておられ、そのために今度はわたしたちを「平和の使者・和解の使者」としてこの世へと遣わされました。「敵意」という「隔ての壁」によって、隔てられ、争い合い、憎しみ合う関係に、両者を一つに結び合わせていく真の「和解」をもたらされました。それが十字架でした。神はこの御子の十字架によって、神と人間、人間同士の敵意を廃棄されたのです。こうしてキリストこそがわたしたちの真の平和なのです。