いつも主にあって喜びなさい(フィリピの信徒への手紙講解) 第9講:イエス・キリストは主です(フィリピ2章9~11節、2024年6月23日)

第9講:イエス・キリストは主です(フィリピ2章9~11節、2024年6月23日)

 

〔今週の御言葉-私訳と黙想 フィリピ2章9~11節 イエス・キリストは主です〕

9そのため神は彼を最高の地位に上げ、すべての名にまさる名を彼に恵みとして授けられました。10それはイエスの名において、天上のものも地上のものも地下のものもすべてのものがひざまずくためです。11そしてすべての舌が、「イエス・キリストは主です」とほめたたえて、父なる神の栄光にいたるためです。

 

 

パウロがフィリピの教会の人々とともに歌った讃美は、「彼は神の御姿である御方でしたが、神と同等であることを固執すべきことだとは考えず、むしろ自分自身を無にして、奴隷の姿を取り、人間の有様で現れました。自分自身を卑しくして、死、しかも十字架の死にいたるまで従順になられました」でした。しかしこれには2節目がついていて、「そのため神は彼を最高の地位に上げ、すべての名にまさる名を彼に恵みとして授けられました。それはイエスの名において、天上のものも地上のものも地下のものもすべてのものがひざまずくためです。そしてすべての舌が、『イエス・キリストは主です』とほめたたえて、父なる神の栄光にいたるためです」と続きます。こうして徹底して自分自身を捨て、無になられた主は、神の御姿に固執することなく、奴隷の姿を取り、人間、それも、最も卑しく貧しい人間として現れました。そこで父なる神は、彼を最高の地位に引き上げて、すべてのものが「イエス・キリストは主です」と告白して、この方の前にひざまずくことが讃美されるのです。「王の王、主の主」なる方がその栄光に輝く真実なお姿を現して、すべての被造物によって讃美される様が歌われます。わたしたちが信じ、仰いでいる主イエスとは、そういう方です。本来は永遠の神の永遠の輝きと栄光に包まれて、すべてのものによってひざまずかれ、礼拝され讃美されている方なのです。この栄光の主を仰いでいきましょう。