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棕櫚の主日礼拝(受難節第6主日) 「自分で立つ信仰と憐れみによって立たせられる信仰」(ルカ22章7~34節)

棕櫚の主日礼拝(受難節第6主日)

「自分で立つ信仰と憐れみによって立たせられる信仰」(ルカ22章7~34節)

 

《今週の御言葉 ルカ22章7~34節 まことの信仰とは》

 

最後の晩餐の席で、弟子たち全員が自分を裏切ると話された主イエスに、ペトロは他の人は裏切っても、自分は絶対に裏切らないと断言しました。しかしその後に起こることとペトロの弱さを知っておられた主は、ペトロが信仰を失うことがないように祈ったと約束されました。結局ペトロは、主イエスを三度知らないと断言して裏切ることになりますが、この理由はどこにあるでしょうか。一言でいえばペトロは「自分の」信仰に自信を持っていたということです。しかしこの「自分の」信仰ほど当てにならず、信用できないものはありません。信仰とは何でしょうか。まことの信仰とは、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(マルコ9章24節)と、主イエスに訴え、叫ぶ、そういう信仰です。自分には信仰がなく、主イエスにより頼み、主を第一として生きる、そんな強さもないこと、そして自分の力では主に対する信仰を自分で支えていくこともできない、そのような自分の無力さと不信仰を認めることです。しかし主はそのような不信仰なわたしにさえ、ご自身の真実な信仰を与えてくださり、ご自身の祈りの中で支え、守り、立たせてくださるのです。わたしたちの信仰は「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と約束してくださる、主の祈りの中で立たせられ、守られていくものなのです。「自分で立つ信仰と憐れみによって立たせられる信仰」、あなたの信仰はどちらでしょうか。