神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-20

 

 

 

22 キリストは、神の御子でありつつ、どのようにして人となられたのですか。

 

 神の御子キリストが人となられたのは、聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り、彼女から生れながらも、罪はないという仕方で、真実の体と理性的霊魂をおとりになることによってでした。

 

〔今週の御言葉 ルカ1章30~37節 肉を受けた神の子イエス・キリスト〕

 

 前回は神の選民の唯一のあがない主は、主イエス・キリストです。この方は、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格を持つ、神また人であり続けられますについて考えました。それを受けて、この「人間となられた神」について考えます。汎神論的アニミズムの世界に生きる日本人の霊性は、「神になった人間」は理解しやすいのです。先祖でも、何代か過ぎれば祖先神となって神としてあがめられることになります。しかしそれは何も日本だけではなく、キリスト教の中にも派生しました。アリウス主義です。そこではイエス・キリストは、神の完全・完璧な被造物であったがゆえに、神に限りなく近い存在となり、「神の子」「第二の神」とされたと考えます。しかしどれほど神に近い存在とは言っても、被造物であることに変わりはなく、わたしたちを罪から救う力はありません。このようにキリストは「神となった人間」なのではなくて、「人間となられた神」なのです。そしてここでは、この神の御子が、「どのようにして人となられたのか」が問われます。それは聖霊によって身ごもって母マリアの胎に宿ることにより、マリアから肉体を受けられたということでした。これを「受肉」と言います。それにより主イエスは、わたしたちとまったく同じ肉体を採られたのでした。しかもそこで体を罪なく採られたのは、わたしたちの罪を贖うためでした。