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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第106講:アグリッパ二世に対する弁明(使徒言行録25章23節~26章32節)

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

106講:アグリッパ二世に対する弁明(使徒言行録2523節~2632節)

 

〔今週の御言葉 使徒言行録2523節~2632節 アグリッパに対する弁明

 アグリッパの前での弁明を許されたパウロは、最後にこう締めくくりました。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、わたしのようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」と。確かにパウロは身体的にも鎖をつけられて拘束されていましたし、法的にも軟禁状態の中に置かれて、二重の意味で拘束されていました。しかしそのパウロの心は自由だったのです。イエス・キリストに結び合わされた人生は、たとえどのような拘束に置かれたとしても、心において自由なのです。パウロは、「肉体のとげ」も負っていました。そしてそのとげは、くり返しパウロを痛めつけ、苦しませていきました。しかしその激しい痛みの中にあっても、パウロは自由でした。パウロは何度も投獄され、鞭打ちを受け、石を投げつけられました。しかしそうした厳しい状況の中にあっても、パウロは自由でいることができました。「土の器の中に宝を納めている」と言う如く、パウロの土でできた肉体の中には、他に替えることができない高価な宝が宿っていました。イエス・キリストです。そしてこの宝のゆえに、パウロはどのような状況の中にあっても、自由であることができたのでした。様々な困難や拘束状態の中に置かれるわたしたちも、命の源であるイエス・キリストを宿していることによって自由に生き生きと生きることができるのです。