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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第105講:イエスは生きているとの証言(使徒言行録24章27節~25章22節)

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

105講:イエスは生きているとの証言(使徒言行録2427節~2522節)

 

〔今週の御言葉 使徒言行録2427節~2522節 フェストゥスへの弁明

 

 総督フェリクスも、フェストゥスも、法に照らしてパウロを訴える罪状を見つけることができませんでした。パウロは無罪であるにもかかわらず、ユダヤ人たちから訴えられていたのでした。無罪であることは裁判官である彼ら総督たちが認めたことでした。この奇妙な裁判は、もう一つの裁判と重ね合わされます。主イエスの裁判です。そこでも裁判官である総督ピラトは、主イエスが無罪であることを認めていました。それにもかかわらず主イエスは有罪判決を受けて処刑されることになります。無罪であることが確認されながら、しかも有罪判決を受けて処刑される、しかしそれによってわたしたちは無罪とされることになります。なぜなら無罪である、つまり罪のない主イエスがわたしたちの罪を背負い、御自身を罪人として差し出してくださり、本来ならわたしたちが受けるべき罪の形罰のすべてを御自身に引き受けてくださったからです。わたしたちは一人の例外もなく、やがて最後の審判に出頭することになります。そしてわたしたちは一人の例外もなく有罪判決を受けるべきことが決まっています。それにもかかわらず、この最後の審判においてわたしたちは無罪と宣言されます。なぜならわたしたちの救い主イエス・キリストがわたしたちの受けるべき罪の裁きを受け、代わりに罰を引き受けてくださったからです。地上でいかなる罪を犯したとしても、主イエスを救い主として信じる者はすべて救われるのです。