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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第104講:フェリクスに弁明するパウロ(使徒言行録24章1~26節)

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

104講:フェリクスに弁明するパウロ(使徒言行録24章1~26節)

 

〔今週の御言葉 使徒言行録24章1~26節 フェリクスに弁明するパウロ

 

カイサリアまで連行されたパウロはローマ総督の前に立たされます。そこでパウロが主張したことは、「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めて」きたことです。ユダヤ最高法院の前でもパウロは、「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と語りました。これまでパウロが、ユダヤ最高法院とローマ総督の裁判の席で語ろうとしたのは、そういった人間の裁判とは別のもう一つの裁判があり、その裁きの前に自分が立たせられてきたし、やがて立たされていくことだということでした。人が自分をどう評価し、どう言い募ろうと、自分は人間の裁きの前ではなく、神の裁きの前に立たされて、その裁きの吟味の前に誠実に生きようとしてきたのだと。人間の裁きの前に立たされていたパウロは、もっと根源的な裁判、神の裁きの前に自分が立たされているし、やがて立たされていく、その深い自覚の中で生きてきたことを語ってきたのでした。そしてそれはパウロ一人ではなく、今パウロを罪に定めようとしている裁判官たちも、一人の例外もなく立たされていく裁判があるということです。そしてそのことを今自分を裁いている人々にも語りかけて、彼ら自身がやがて引き出されなければならない神の裁きの前に、一人一人立っていくように、それに備えていくことを勧めていったのでした。主は、わたしたち一人一人にも同じことを求めておられるのです。