神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-17 〔今週の御言葉 ローマ5章12~21節 罪による堕落がもたらした罪性と悲惨〕

神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み

-『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-17

 

〔今週の御言葉 ローマ5章12~21節 罪による堕落がもたらした罪性と悲惨〕

 

 罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは神の律法にそむくことです。わたしたちの最初の先祖たちを、創造された状態から堕落させた罪とは、彼らが禁断の木の実を食べたことでした。業の契約がアダムと結ばれたのは、彼自身のためだけでなく、子孫のためでもありました。それで、普通の生まれかたでアダムから出る全人類は、彼の最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落したのです。この堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落しました。そしてまず人が堕落した状態の罪性は次の点にあります。即ちアダムの最初の罪の罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること、そこからあらゆる現行罪が生じていることです。さらに人が堕落した状態の悲惨は次の点にあります。即ち全人類は、堕落によって神との交わりを失いました。今は神の怒りとのろいの下にあり、そのため、この世でのあらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わされています。罪による堕落は三つの死をもたらしました。第一は「霊的な死」です。わたしたちは生まれながら霊的には死んだ者として生まれてきます。第二はその結果もたらされる「身体の死」です。しかし死はそれにとどまらず、第三の死、「永遠の死」をもたらします。そこでわたしたちは、罪を心から憎まれる義なる裁きの中で、永遠に続く苦しみに責め苛まれることになるのです。