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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

〔今週の御言葉 使徒言行録22222310節 良心に従って神の前で

最高法院の前に立たされたパウロは、「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と語りました。ここでパウロが語る「良心」について考えてみましょう。わたしたちが「良心」という時は普通、自分の「良心」を指します。しかしここでパウロが語る「良心」は、自分の「良心」だけではないことに気づく必要があります。「自分の良心」ということであれば、人がどう言おうと人は人、自分は自分ということになり、自分は何も間違ってはいないという自己正当化につながります。パウロがここで、「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と言ったのは、自分は正しい、やましいところは少しもないと、自分の良心を基準として主張しようとしたのではありません。自分は正しいと思う、その自分の良心を外から客観的に見つめなおす目、一歩退いたところから自分を省みる視座が必要です。そこでは自分の良心は相対化されていきます。その視点が、自分を外から見つめ直し、捕らえ直す視座がわたしたちには必要ではないでしょうか。パウロは「わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と、何よりもこれまで「神の前で」生きてきたのでした。それはわたしたちが一人一人、神の裁きの前に立っているといくことでもあります。わたしたちは、自分でも人でもなく、この神ご自身をこそ真実に恐れて生きていくべきではないでしょうか。