神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-14 問12 神は創造された状態の人に、どのような特別の摂理の行為をとられましたか。

神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み

-『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-14

 

問12 神は創造された状態の人に、どのような特別の摂理の行為をとられましたか。

 

 人を創造された時、神は人に、完全な服従を条件として命を契約されました。しかし、善悪を知る木の実を食べることは、死を制裁として禁じられました。

 

〔今週の御言葉 創世記2章1517節 命の契約(業の契約)の締結〕

 

 エデンの園に置かれた人間と、神は「命の契約」を結ばれました。それは「善悪の知識の木」の実を取って食べてはならないというもので、それを守れば「永遠の命」を保証するものでした。しかしそれを破ったら「死」がもたらされるというものでもありました。多くの人々はそもそも神がこのような取り決めをしたから、人間は堕落してしまったのであって、人間の堕落は神のせいではないかと考えます。しかし神がこの契約を結んだ意図は、人間が神をまったくの自由な意志から愛し、自発的に仕え、自ら喜んで服従する、そのような心からの愛の関係を結ぶということでした。そして最初の人間にはそれを守る力も与えられていたのでした。愛するということは、具体的には神との約束を自発的に守ることにおいて現わされるものでした。愛は強制されたり、それしかできないという状態では本当の愛とはなりません。完全な自由が与えられて、それを守ることはもちろん、それを破ることもできる状態の中で、どこまでも自発的に自由な意志から為されるべきものです。そしてもしそれを守ることができたら、永遠に神との交わりに生きるという、もう一段高い状態に導かれるものでした。最初の人間は楽園で無数の種類の色とりどりの果実に囲まれており、ありとあらゆる色や味の果実を楽しむことができました。その中のただ一つ、善悪の知識の木の実を取らないということは決して困難な試練ではありませんでした。