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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第95講3:ローマの信徒への手紙(3)7~11章 〔今週の御言葉 ローマ6章3~12節 キリストに結ばれた新しい命に生きる〕

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

95講3:ローマの信徒への手紙(3)7~11章

 

〔今週の御言葉 ローマ6章3~12節 キリストに結ばれた新しい命に生きる〕

 

 パウロが説く「信仰による義」には、非難が投げかけられました。ただ信じるだけで救われるとするなら、正しい行いをしなくなるではないか、との反論が寄せられました。それに対してパウロは、キリストへの信仰と共に罪に対して死んだのだから、もはや罪の中に生きるはずはないと答えます。「キリストを信じる」ということは、「罪に対して死ぬ」ということです。キリストの十字架の贖いを信じるとは、そこで同時に罪の自分もキリストと共に十字架につけられて一緒に死んだということを信じることです。そのしるしこそ、わたしたちが授けられた「洗礼」でした。洗礼は、この霊的事実を示します。洗礼の水に沈められた時、古い自分はキリストと共に十字架の上で死に、墓に葬られたのでした(6章3、4節)。今わたしが生きているのは、墓から復活された主と共に、その復活の命によみがえらされて、新しい自分として生きる者とされたわたしとして生きているということでした。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。・・・このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(6章4~11節)。こうしてキリストと共に死に、キリストと共に生きているわたしは、これまでのように罪の中に生きつづけ、「体の欲望」を満足させるような、古い肉の生き方に生きることはないのです。