神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-13 問11 神の摂理の御業とは、何ですか。

神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み

-『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-13

 

問11 神の摂理の御業とは、何ですか。

 

 神の摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです。

 

〔今週の御言葉 マタイ6章2534節 神の摂理の御業〕

 

 摂理は、創造に続く神の御業で、その働きは今日にも及んでいます。神はこの世界を作りっぱなしにして放置されたのではなく、造られた責任を負って、今日でも摂理の御手を動かしておられます。摂理とはこの世界に対する、神の「保持」と「統治」の働きです。保持は、被造物の存在を保つ働き、統治はその被造物の活動、行動を支配される働きです。一切の被造物はその存在を神の保持に負っており、神がその御手を引かれるならば、この世界は存立しなくなってしまいます。神はこの被造世界が、神の栄光を表わすという究極目的に仕えるように、働きかけ続けておられるのです。一羽の雀さえ、この神の許しなしに地に落ちることはないという、そのような細かい神のご配慮の中で、「わたしたちは生き、動き、存在している」のであって、この神の御手のうちにいるわたしたちにとって、偶然というものはなく、全てが神の御手の中から出てくるものなのです。このように神委の摂理とは、「神の全能の、いま働いている力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。また、神がこの力によって、これらを統治しておられますので、木の葉も草も、雨も旱魃も、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります」