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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第90講3:コリントの信徒への手紙 第一(3)7~11章

 

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

90講3:コリントの信徒への手紙 第一(3)7~11章

 

〔今週の御言葉 コリントの信徒への手紙 第一(3)7~11章

 

 コリント教会から寄せられた質問の第二は肉食の可否でした。当時のギリシャ世界では、肉屋で売られている肉の中には、偶像に供えられ、そこから取り下げられた肉も売られていました。そのような偶像に供えられた肉を食することは体を汚し、律法の清浄規定に違反し偶像礼拝となると考える人々がいました。しかしその一方で偶像に供えられた肉であろうがなかろうが、それによって体や心を汚すことにはならず、キリストの福音によって「わたしには、すべてのことが許されている」と考える人々がいました。そうして偶像に供えられた肉を食べることに信仰的良心のとがめを覚える人とそうでない人がいて、両者の間に論争が生じていました。パウロはここで、食物がわたしたちを汚すのではなく、そのような迷信や規定に縛られるのは無意味とする立場を取ります。ここで「わたしには、すべてのことが許されている」とする自由な「知識は人を高ぶらせる」ことになるだけです。偶像に供えた肉を食すること自体は、本質的にはどうでもいいことで、それに良心の躓きを覚えるのは信仰の弱さであって、それに対して自由であっていいのです。しかしパウロが問題にするのは、そのような肉食の可否についての原理的問題ではなくて、それによって信仰の弱い人を躓かせているという実際的な問題についてでした。弱い人を躓かせること自体が問題なのです。だからパウロは自分は肉を一切口にしないと宣言するのです。