· 

逆境の最中における神賛美

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1章64節~68節a 逆境の最中における神賛美〕

 そこで、彼(ザカリア)の口と舌がすぐに開かれました。そして、神をほめたたえて、語り続けました。そして、彼らの周りに住んでいる人々すべての上に恐れが起こりました。そして、ユダヤの山地全体でこれらの出来事のすべてが語り伝えられ続けていきました。そして、聞いた人々すべては、「この子供はいったい何になるのだろうか。*主の御手が彼(ヨハネ)と共にあり続けている。*」と言いながら、自分たちの心の中に納めました。

 そして、彼の父であるザカリアは、聖なる霊に満ち溢れました。そして、(次のように)語りながら預言しました。「ほめたたえられますように。イスラエルの神である主が!」

*~*の部分は会話文ではなく地の文として訳すことも可能;( )は説明のための付加

 

 

「ヨハネ(主は恵み深い)」、ザカリアが書いたこの言葉は、十か月もの間沈黙と静寂を強いられてきたザカリアの心から溢れ出てきた言葉でした。「主は恵み深い」、この賛美の言葉こそ彼の心の底からの信仰告白だったのです。するとたちまち彼の口は開かれ、舌がほどけて、しゃべることができるようになりました。その口から最初に出てきたことは、これまでの苦労をしのばせる愚痴や、不平、不満ではなく、またこれまでどんなことがあったかを説明するものでもなくて、賛美でした。「ほめたたえられますように。イスラエルの神である主が!」これがザカリアが発した開口一番の言葉で、これが彼の心を占めていた思いであり、心を一杯にしていた気持ちでした。十か月もの沈黙の時間は、懐疑的で不信仰なザカリアを、賛美と感謝に溢れた彼へと大きく変貌させていきました。彼は口が開かれたから賛美したと言うよりも、開かれる前からあった感謝を口にして賛美しました。恵みや祝福を与えられることで感謝して捧げる賛美があります。「であるゆえ」の賛美です。しかしもう一つの賛美があります。「にもかかわらず」の賛美です。それはたとえ恵みが与えられないとしても、感謝できることがないとして、そうなっていくことを信頼して、逆境の中で捧げる賛美です。むしろ困難の中にさえある恵みを、一つ一つ数え上げていく賛美です。わたしたちもこの「にもかかわらず」の賛美で満たされていきたいと思います。