ナザレ人と呼ばれるイエス・キリスト(マタイ2章13~23節)

2021年降誕節第1主日 マタイの福音書で辿るクリスマス物語(20211226日)

第5講:ナザレ人と呼ばれるイエス・キリスト(マタイ2章1323節)

 

〔今週の御言葉 マタイ2章1323節 ナザレ人と呼ばれるイエス・キリスト〕

 

 これまで「アブラハムの子、ダビデの子イエス・キリスト」についてたどってきました。マリアとヨセフに告げられた通り、この方は聖霊によって身ごもられた神の子ですが、人の子(人間)を神の子とするために、神の子が人の子(人間)となってこの地上に宿られた方でした。「ダビデの子」と呼ばれる主イエスは、ダビデの血筋を引くメシアとしてわたしたちの救い主となってくださるためにお生まれくださったクリスマスの主でもありました。その主イエスが、預言されていたベツレヘムではなく、ナザレ人として育てられることになったいきさつがここには記されています。誕生されたのは預言通りベツレヘムでしたが、命を狙う者の手から逃れるためにエジプト、そしてナザレへと避難していかれたのでした。後に「ナザレから何か良いものが出るだろうか」や、「ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」と批評される主イエスですが、生まれはベツレヘム、育ちはガリラヤのナザレであることが明らかにされるのです。そして後にキリスト者は「ナザレ人の分派」とか「ナザレ派」と呼ばれるようになります。しかしナザレには「若枝」という言葉とも通じており、主イエスは「ダビデのひこばえ」として誕生される旨が明らかにされてもいます。わたしたちのために貧しく、卑しくなり、その一員として、命さえも狙われる危険のただ中にまで降ってきてくださった真の救い主に、心から感謝をささげていきましょう。