創造から終末に至る神の救いの計画 第20講:「神の国」の中心的現れとしての教会と礼拝 黙示録4章1~11節

【今週の御言葉 黙示録4章1~11節 「神の国」の中心的現れとしての教会と礼拝】

主イエス・キリストの恵みの支配である「神の国」はすでに到来し、その完成を待ち望んでいます。それまでの期間においては、教会が「神の国」の中心的な現れであり、その宣教の担い手です。この教会の霊的生命の源泉は礼拝です。礼拝においては神の御言葉が朗読・説教され、礼典が執行されることによって、「神の国」が宣べ伝えられる共に、それが拡大、進展していきます。わたしたちは、そこに聖霊において臨在される主イエス・キリストとの交わりを為し、霊的養いを受けます。霊的祝福を享受するわたしたちは、そこで感謝と讃美を、教会の頭であり、この世の主権者であるイエス・キリストに捧げます。そしてキリストがご自分をわたしたちのために棄ててくださったように、わたしたちもこのキリストの愛と犠牲を感謝して呼応し、わたしたち自身をこの方に献げていきます。その献身は、なによりも御言葉への真摯な傾聴と、それに対する服従によって示されます。そして日々の生活において、そこで聞いた御言葉の実を結んでいくように励みます。神を愛し、隣人を自分のように愛するという神の御心を実現し、その御心に服して生きていきます。そのために古い自分を脱ぎ捨てて、日々新しい自分として生活していきます。そのような日々の営みの中心に、主の日の礼拝があります。主の日の礼拝を中心とした一週間の営みが続けられていくところで、「神の国」はこの世において拡大し、進展していきます。