創造から終末に至る神の救いの計画 第 13 講:「恵みの契約」のしるしとしての洗礼 ローマ6章3~ 11 節 (11 月1日)

 

創造から終末に至る神の救いの計画

13講:「恵みの契約」のしるしとしての洗礼 ローマ6章3~11節 (11月1日)

*説教スケジュールの関係で、1112講の前に13講を出します。

 

【今週の御言葉 ローマ6章3~11節 「恵みの契約」のしるしとしての洗礼】

 

キリストが定められた聖礼典とは、「神によって定められた、目に見える、聖なるしるしと印章」であって、わたしたちの救いの全体が、十字架でわたしたちのためになされた、キリストの唯一の犠牲に基づいているということを、聖霊が福音において教え、聖礼典において確証してくださるものです。わたしたちが「神の御前に、義となり、永遠の生命の相続者となる」のは、「イエス・キリストを信じる真実の信仰によってのみ」です。そしてこの「イエス・キリストを信じる真実の信仰」は、「聖霊が、わたしたちの心の中に、聖なる福音の説教によって、信仰を起こし、それを、聖礼典を用いることによって、確証してくださる」ものです。そこで洗礼が指し示すのは、「キリストの血と霊によって、魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪から、洗われる」ことであり、それは「十字架の犠牲において、わたしたちのために流したもうた、キリストの血のゆえに、恩恵によって、神から、罪の赦しを得る」ということです。洗礼は、受洗者が仲保者キリストの死と復活においてキリストと一体とされ、それによって罪赦され、義と認められて神の恵みの契約に入れられ、神の民に加えられることを表象し、確証する」もので、ですから洗礼は、旧約時代の契約のしるしである割礼に連なるもので、新約時代の「恵みの契約」のしるしです。そして洗礼は終末における「神の民の罪からの清めと救いの完成を待望」させるものなのです。