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8月9日(使徒言行録7章44~45節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒7章44~45節 天にある真の幕屋の型である幕屋〕

 わたしたちの父祖たちにおいては、荒れ野の中に証しの幕屋がありました。モーセに語られた方が、彼が見たままの型に従って造るようにとお命じになった通りでした。わたしたちの父祖たちはこの幕屋を次々と受け継いで、わたしたちの先祖の前から神が追い払われた異邦人の所有の中に、ヨシュアと共に運び込み、ダビデの日々に至りました。

 

契約が締結されたことで、神はイスラエルの神となり、彼らは神の民とされました。こうして神との関係が成立したので、次は神礼拝を成立させていく道具が用意されます。それがここで命じられる幕屋でした。この幕屋は、モーセが「見たままの型に従って造る」ように求められたもので、本体は天にあるものであり、それを型どって制作されたもので、天にある本物のレプリカにすぎませんでした。モーセが見せられた完全な幕屋とは「人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋」であり、そこにおいて主イエスはご自身の血による永遠の贖いを成し遂げてくださるものでした。ここでモーセが造営するのは、この「天にあるものの写しであり影であるもの」にすぎませんでした。しかしこの幕屋は、「臨在の幕屋」と呼ばれて、神が「聖なる所」とされる場所であり、そこで「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」のでした。幕屋として表わされたことはイエス・キリストを差し示す型であり、神が人となってわたしたちの間に住まわれた(天幕を張られた)キリストにおいて成就しました。インマヌエル(神、我らと共にいます)というキリストこそ真の幕屋なのでした。完成された新天新地においては、「幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神とな」るのであり、この本物の幕屋を目指して一歩ずつその道をたどっているのです。