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4月19日(使徒言行録6章1~7節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒6章1~7節 祈りと御言葉の奉仕に専念するため〕

 これらの日々において、弟子たちが増えてきて、ヘブライスト(ヘブル語を話すユダヤ人)に対するヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人)のつぶやきが生じました。毎日の配給において彼ら(ヘレニスト)のやもめたちがなおざりにされていたためでした。そこで十二人は弟子たちの群衆を呼び集めて言いました。「わたしたちが神の言葉を放っておいて、食卓の世話をするのは望ましいことではありません。そこで兄弟たち、あなたがたの中から霊と知恵に満ちていると評判の良い七人の男たちを見つけなさい。わたしたちは彼らをこの務めにつかせるでしょう。それでわたしたちは祈りと御言葉の奉仕【給仕】に専念するでしょう。」そこでこの言葉は群衆のすべてを喜ばせました。そして彼らは信仰と聖霊に満ちたステファノとフィリッポとプロコロとニカノルとティモンとパルメナとアンテオケの改宗者ニコラオを選び出し、使徒たちの前に立たせました。そこで彼ら(使徒たち)は祈って、彼ら(七人)の上に手を置きました。そこで神の言葉は広がり続けていき、弟子たちの数はエルサレムの中で非常に増えていき続け、祭司たちの多くも、この信仰に従い続けていきました。

*( )は原文にはないが理解に供するため付加したもの。【 】は別の訳。

 ここでは「食事の給仕」と「御言葉の給仕」が対応している。

 

聖霊によって「一つ」とされていた教会に相互対立と分裂の危機が生じました。ヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人が対立し、教会員同士が分裂しようとしていました。それは「食事の給仕」に対する不満がきっかけとなりましたが、この背景には話す言葉の違いから来る無理解と文化・生活習慣の違いがありました。そこで使徒たちは教会員を招集し、なおざりにされていたギリシャ語を話すユダヤ人教会員のために、新たに七人の役員を立て、彼らにそれを委ねるという提案をします。それは使徒たちが「御言葉の給仕に専念する」ためでした。ここで「食事の給仕」と「御言葉の給仕」が対比されています。こうした使徒たちの対処は、教会が何を第一としなければならないかということを明らかにします。注意してほしいのは、「食事の給仕」も決してなおざりにはされていないということです。それはどうでも良いことだから、そのような下賤な役目は別の人に任せて、自分たちはもっと貴い働きに専念しましょう、というのではないです。ただ教会が第一にしなければならないのは「御言葉の給仕」でした。それが真実の意味で教会を「真の教会」たらしめます。「食事の給仕」に代表されるこの世の働きや相互の交わりもなおざりにして良いものではありませんが、本末転倒してはならないのです。教会は「御言葉の給仕」にあずかる場だからです。今日もこの「御言葉の給仕」に豊かにあずかりましょう。