2月2日(使徒言行録2章22〜36節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒2章22~36節 教会の宣教の言葉(ケリュグマ)

 兄弟たち、イスラエルの方々、これらの言葉を聞いてください。ナザレのイエスを。あなたがたが知っているように、神がこの方を通してあなたがたの間で行った数々の奇跡と不思議としるしによって、神によって認められた方を。神の定められていた計画と予知によって、引き渡され、不法の者たちの手で釘づけにして殺されました。神はこの方を死の苦しみから解き放って、起き上がらせ【復活させ】ました。この方が死によって捕らえられたままでいることはありえないからです。すなわちダビデは言っています。『わたしはいつも目の前に主(がおられるの)を見ていた。主がわたしの右側におられるので、わたしは揺り動かされない。このためわたしの心は喜び、わたしの舌は喜んだ。そしてわたしの肉も希望をもって生きる。あなたはわたしの魂をハデス【陰府】の中に捨て置くことなく、あなたの聖徒が朽ち果てるのを見ることをさせない。あなたはわたしに命の道を知らせてくださった。あなたはあなたの顔と共にいる喜びで満たしてくださる。』

兄弟たち、先祖ダビデについてはあなたがたに対してはっきり言えます。すなわち彼は死んで葬られました。そして彼の墓はこの日に至るまでわたしたちの中にあります。ところで彼は預言者だったので、神が彼に誓いをもって誓ったことを知っていました。『彼の腰の実【子孫】から彼の王座に就かせる』と。彼はキリストの復活について前もって見たので語りました。『彼はハデス【陰府】の中に見捨てられることはなく、その肉体が朽ち果てるのを見ることはない』と。このイエスを神は起き上がらせ【復活させ】ました。わたしたちはみな、その証人です。ですから彼は神の右側に引き上げられ、聖霊の約束を父から受けて、これを注ぎ出しました。あなたがた自身がそれを見て、聞いています。ダビデは天に上りませんでした。彼自身が言っています。『主はわたしの主に言われた。あなたはわたしの右側に座りなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの両足の足台として置くまで』と。ですからイスラエルの全家はこのことをしっかりと知りなさい。神が主となし、またキリストとしたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのだということを。」

 

聖霊が注がれたペトロたちは、内側から鍵をかけて閉じこもっていた部屋を出て、人々が十字架につけて殺した主イエスが死を打ち破って復活されたこと、そしてこの方こそ「主」であり「キリスト」であることを力強く宣べ伝えました。ペトロは旧約聖書の預言に基づいてキリストの復活を確証すると共に、自分たち自身が「そのことの証人」だと宣言したのです。十字架で死んだ主イエスが、死を打ち破って復活されたこと、このことこそ福音の中心点であり、わたしたちの信仰の核心です。そしてこれまで隠れていた彼らにそのように力強く語らせる力を与えたのは、彼ら一人一人に注がれた聖霊でした。そしてその聖霊が、彼らに語るべき言葉をも与えて語らせたのでした。こうして「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」という約束が成就しました。しかもこの約束は二千年前のペンテコステにおけるただ一度限りのことではなくて、今を生きるわたしたちにも為されている約束です。わたしたちが信仰に堅く立って、雄弁に福音を宣教することができるのは、自分の中にある熱心や力に基づくことではなく、どこまでも聖霊が与えてくださる力によるものです。「主に望みをおく人は新しい力を得」ると約束されています。わたしたちも自分自身に頼るのではなく、聖霊ご自身の力に依り頼みつつ、聖霊による新しい力を日々に新しくいただくことで、日ごとに新しく歩み出し続けていきたいと願います。