· 

3月3日(ルカ19章11〜27節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ191127節 賜物を生かして用いること〕

 さて彼らがこれらのことを聞いているときに、彼(イエス)はさらに譬を言い続けられました。彼がエルサレムに近づいていたために、彼らは神の国〔王国・支配〕がすぐにも現れようとしていると考えていたためでした。そこで彼は言いました。「ある身分の高い人が自分のために王位を得て帰って来るために、遠い国に行きました。そこで自分の10人の僕たちを呼んで、彼らに10ムナを与えました。そして彼は彼らに向かって言いました。『わたしが(帰って)来る間に商売しなさい。』ところが彼の住民たちは彼を憎み続けていました。そして彼らは彼の後に使節を遣わして、『この人がわたしたちの上に(立って)王となることを望みません』と言いました。

 そして彼が王位を受け取って帰ってきたとき、お金を与えてあったこれらの僕たちを自分の許に呼び出すように言いました。彼らがどれくらい儲けたかを知ろうとするためでした。そこで最初の者がやって来て言いました。『御主人様、あなたの1ムナは10ムナを儲けました。』そこで彼は彼に言いました。『良くやった。良い僕だ。お前は最も小さなことに忠実であったから、10の町を支配する権威を持ち続けなさい。』次に第二の者が言いました。『御主人様、あなたの1ムナが5ムナを儲けました。』そこで彼はこの人にも言いました。『お前もまた5つの町の上に(支配するように)なりなさい。』

さらに別の者が来て言いました。『御主人様、ご覧ください。わたしが手ぬぐいの中に保管して持っていたあなたの1ムナです。なぜならあなたは過酷な方でしたので、わたしはずっとあなたを恐れていました。あなたは預けないものを引き出し、蒔かないものを刈り入れる(方だからです)。』彼は彼に言いました。『お前の口(の言葉)によってお前を裁こう。悪い僕よ。お前はわたしが預けないものを引き出し、蒔かないものを刈り入れる過酷な人間だと知っていたのか。それではなぜお前はわたしの金を銀行に預けなかったのか。わたしが来たとき、わたしはそれを利子と共に集めただろう。』そして彼は側に立っていた者たちに言いました。『彼からそのムナを取り上げて、10ムナ持っている者に与えなさい。』しかし彼らは彼に言いました。『御主人様、彼は(すでにもう)10ムナ持っています。』わたしはあなたがたに言います。持っている者にはすべてが与えられるでしょう。しかし持っていない者は持っているものも取り上げられるでしょう。

ところでわたしが王として支配することを望まなかったこれらの敵たちをここに連れて来なさい。そして彼らをわたしの面前で斬り殺しなさい。」

*( )は原文にないが理解のために補ったもの、〔 〕は別の訳。

1ムナは100ドラクマ=100デナリオン(100日分の労働賃金)

 

主イエスはムナの譬を話されました。タラントンの譬との違いは、タラントンは「それぞれの力に応じて」、5・2・1と委ねられた額に差がつけられていることです。しかしムナは平等に与えられます。周りを見ると賜物や才能にあふれた働き人がいて、そこに優劣の差があることも確かです。しかし同時に賜物は皆等しく平等に与えられてもいます。同じ時間、同じ場所、同じ機会という同じ条件のもとで、それをどのように生かして用いるかが問われます。賜物が不平等だと不平を鳴らす前に、同じ条件で同じものを生かすことを求められていることを覚えて、無いなら無いなりの工夫をし努力をして、それを豊かなものにしていくことができるはずではないでしょうか。タラントンは6000ドラクマ、ムナは100ドラクマ、1デナリオン(一日分の労働賃金)を1万円とすると、1タラントンは6000万円、1ムナは100万円に相当します。それは何か事業を始めるためには決して大きな額ではありませんから、色々工夫し知恵を使い努力しないと儲けることは難しいでしょう。だからここで1ムナを10ムナにした僕は「お前は最も小さなことに忠実であった」と褒められます。この譬は、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」との言葉の具体例です。委ねられた賜物を生かすのも無為にするのもあなた次第です。あなたはいかがでしょうか。