9月2日(ルカ16章27〜31節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ162731節 御言葉に対する謙遜と服従〕

 しかし彼(金持ち)は言いました。「それではわたしはあなたにお願いします。彼(ラザロ)をわたしの父の家に遣わしてくださることを。というのは、わたしは5人の兄弟をもっています。彼らもこの苦痛の場所に来ることがないように、彼(ラザロ)が彼らに厳しく警告してくださ(るようにしてくださ)い。」しかしアブラハムは言いました。「彼らはモーセ(の書=律法)と預言者たち(諸預言書)を持っている。彼らは彼ら(モーセと預言者たち)に聞き従うべきである。」しかし彼は言いました。「いいえ、父アブラハムよ、もし死者たち(の中)から誰かが(よみがえって)彼らに向かって行くなら、彼らは悔い改めるでしょう。」しかし彼(アブラハム)は言いました。「もしモーセ(の書)と預言者たち(諸預言書)に聞かないなら、誰かが死者たち(の中)からよみがえっても、彼らは説得されないだろう。」

*「モーセ(の書=律法)と預言者たち(預言書)」とは『旧約聖書』のこと

 

ハデスに行ってもなお自己中心だったこの金持ちは、それでも自分の兄弟のことは案じて、ラザロを彼らの許に遣わすことを要求します。それに対するアブラハムの答えは厳しいものでした。「彼らはモーセと預言者たちを持っている。彼らは彼らに聞き従うべきである。」「モーセと預言者たち」とは人物を指すのではなく、彼らが書いた書物、モーセ五書とも呼ばれる律法と諸預言書を指します。彼らは聞いてきたはずでした。毎週会堂に行き、聖書の言葉を聞いてきたはずです。しかし彼らはそれを本気で聞かなかったし、真剣に受け止めなかった、そしてそれとはまったく別のところで日々の営みを続け、生活を送っていたのでした。永遠という視点から自分の人生を見つめ直して生きることをせず、だから本当の意味で今を生きるということがなかった、そして耳にしていたはずの神の御言葉も聞きながら無視して生きてきたのでした。繰り返し聖書の言葉を聞きながら信じることをせず、真剣に受け止めることもなく、ただ聞き流し、無視して生きていきました。わたしたちはどうでしょうか。わたしたちも毎週聖書を聞いていますが、それをどのように受け止めているでしょうか。自分の人生を永遠から見つめながら生きているでしょうか。それとも今を充実することだけに浮き身をやつし、刹那的に人生を送っているでしょうか。あなたはどう聞いているかと、主イエスはわたしたちにも深い問いを投げかけておられます。