2月18日(ルカ13章34〜35節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ133435節 滅びる者への神の真摯な招き〕

 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、あなたがたに向かって遣わされた者たちに石を投げて殺す都。めん鳥が自分の雛たちを両翼の下に(集める)ように、わたしは何度あなたの子どもたちを(一か所に)集めようと願いました。しかしあなたがたは(それを)欲しませんでした。見なさい。あなたがたの家はあなたがたに対して見捨てられます。だからわたしはあなたがたに言います。「主の名によって来られる方に祝福があるように [i]」とあなたがたが言う時が来るまで、あなたがたはわたしを決して見ることはないでしょう。

*( )は原文にはないが付加した言葉。1.ルカ1938節、詩編11826

 

 主イエスは、やがて訪れるであろうエルサレムの陥落と滅亡を予見して、そのために深い悲しみを覚え、嘆かれます。この前後でも主イエスは繰り返しエルサレムの滅亡を予告し警告されました。それにもかかわらずユダヤ人たちは主イエスを受けいれず、逆に拒絶したばかりではなく、十字架によって処刑していくことになります。その血の責任が彼らに問われることになる、そのことを覚えた時に主はいたたまれない思いでこの言葉を語られたのではないでしょうか。何度も預言者を遣わして悔い改めを呼びかけてこられた神にとってエルサレム滅亡への嘆きは慟哭と言ってもよいものでした。バビロニア帝国によって壊滅させられたエルサレムは、ヘロデによって壮麗な神殿の街として再建されましたが、今度はローマ帝国によって壊滅させられ、異教の神殿が建立された町としてユダヤ人の入場が禁じられるようになります。以来1800年にわたりユダヤ人は世界各地を放浪する流浪の民となって苦難の歴史を歩みますが、それは「神の訪れてくださる時をわきまえなかった」ことにありました。神の御子イエスがメシアとして来られたにもかかわらず、彼を拒絶し処刑してしまった責任が問われたのです。その主はわたしたちを悔い改めへと招いておられます。この主イエスの招きに応えて、主を心に迎え入れ、自分の人生の主として受け入れてください。そのときあなたは新しい人生を歩み始めるようになっていくのです。