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1月15日(ルカ11章9~13節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ11章9~13節 求める者に良い物をくださる神〕

だからわたしはあなたがたに言います。あなたがたは求め続けなさい、そうすればあなたがたのために与えられるでしょう。捜し続けなさい。そうすればあなたがたは見い出すでしょう。たたき続けなさい。そうすればあなたがたのために開かれるでしょう。というのは、すべて求め続ける人は受け取ります。そして捜し続ける人は見い出します。そしてたたき続ける人は開かれるでしょう。あなたがたの中の父親で誰か、息子が【パンを求めるのに、彼に石を手渡すでしょうか。あるいは】魚を求めるのに、魚の代わりに彼に蛇を手渡すでしょうか。あるいは卵を求めるのに、彼にさそりを手渡すでしょうか。そこでたとえあなたがたは悪い者であったとしても、自分の子供たちには良いものを与えることを知っているのであるなら、ましてや天の父は彼に求め続ける人たちに聖霊をいっそう多く与えてくださるでしょう。

【 】は、新共同訳のテキストにはないが、他の写本にある部分。おそらく後代の付加

 

 神への祈りにおいては人間の熱心が神を動かすわけではありませんが、それでも神は熱心に祈る人を求められます。祈りとは神との交わりだからです。願いがすぐに実現するだけだったら、それは自動販売機と同じです。硬貨を入れてボタンを押すと欲しい品を手に入れられます。そこで販売機に声をかけるでしょうか。普通は何もしゃべらず、機械的に動作するだけです。祈りがすぐに実現するなら、神との関係も同じになるでしょう。神は熱心に必要を訴える人を求めます。祈りはすぐには聞かれないかもしれません。だから一生懸命になって祈り続けます。そうして求め続けていく中で、本当に自分が必要としていたものは何であったか精査されていきます。そして自分で自分の本当の必要を知るようになります。神がわたしたちの必要のすべてをご存じであっても、それでもなお祈り求めさせるのはそのためです。祈りによって神を変えるためではなくて、わたしたちが変えられるためです。祈りの多くは自分の肉の思いから生じたものです。しかしそれを祈らせ続けることで、その肉の思いに満ちた祈りが少しずつ聖められていきます。そうして神の御心を切に祈り願う者へと、わたしたち自身が変えられていくのです。だから主イエスはわたしたちに「求め続けなさい」と求められました。それは切に祈り続ける祈りによって、わたしたちが本当に求めるべきものへとたどり着くことができるようになるためなのです。