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6月19日(ルカ10章38~42節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ103842節 必要なことはただ一つだけ〕

 さて彼らが旅をしていた時に、彼(イエス)はある村の中に入って行きました。するとマルタという名の女性が彼を(家に)迎え入れました。ところでその女性にはマリアと呼ばれる姉妹がいました。彼女は主の足許に座って、彼の言葉を聞き続けていました。しかしマルタはたくさんのもてなしのことで忙殺され〔取り乱し〕ていました。そこで彼女は(イエスの)そばに立って言いました。「主よ、あなたはわたしの姉妹がわたしだけに給仕させているのが気にならないのですか。ですからあなたは彼女に、彼女がわたしの手伝いをするように言ってください。」そこで主は彼女に言いました。「マルタ、マルタ、あなたはたくさんのことで思い患い〔心配し〕、混乱して〔心を乱して〕います。しかし必要なことはただ一つ(だけ)です。マリアは良い方を選び取りました。それは彼女から取り上げられてはなりません。」*( )は付加したもの、〔 〕はもう一つの訳

 

 

 主イエスに対する接待で取り乱していたマルタに、主は「必要なことはただ一つです」と言われました。マルタは主イエスを暖かく迎え入れ、もてなすことで喜んでいただきたいと願いました。しかしそれは彼女の方法によってです。彼女の考えるように、彼女が望む形で、彼女のもてなし方によってでした。しかしそれは主が本当に望まれたことだったのでしょうか。彼女の思いは、自分、自分、自分で一杯でした。マリアは主の足許で主の話に聞き入りました。それが主が望まれることだと彼女は考えたからでした。また主が望まれることをするためにも、まず主に聞く必要があると考えました。彼女の思いは、主、主、主で一杯でした。わたしたちは相手に良かれとして行うことがかえって迷惑となることもあります。それは自分の思いが先走って相手の必要を見ない時に起こります。小さな親切、大きなお世話です。ですから本当に相手のためになることを行うためには、まず相手の必要を知ることが大切です。そして相手が望むことを果たしてあげるとき、本当の親切となります。マルタとマリアの違いは、行動と黙想、活動と静寂の対比ではありません。自分を第一とするか、それとも主を第一とするかの違いです。主が望んでおられるのは、わたしたちが自分の思いではなく、主の御心を第一にして奉仕するということではないでしょうか。そのために「必要なことはただ一つ」です。それを選び取っていきましょう。