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11月29日(ルカ8章49~56節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ8章49~56節 恐れるな、ただ信じなさい〕

 彼(イエス)がまだ話しているうちに、会堂長のところからある人がやって来て、「あなたの娘は亡くなりました。もう先生に面倒をかけませんように」と言いました。しかし(それを)聞いたイエスは、彼(ヤイロス)に、「恐れなくてもいいです。ただ信じなさい。そうすれば救われます」と答えました。そしてその家の中に入ると、彼はペトロとヨハネとヤコブとその少女の父親と母親以外は誰も、彼と一緒に入ることを許しませんでした。ところですべての人々は泣き叫び続けていました。そして彼女のことで胸を打ちたたきながら嘆き続けていました。そこで彼は、「泣き叫ぶのはやめなさい。(彼女は)死んだのではなく眠っているのです」と言いました。しかし人々は(彼女が)死んだことを知っていたので、彼をあざ笑い続けました。ところが彼は彼女の手をつかむと、「少女よ、起き上がりなさい」と呼びかけて言いました。すると彼女の霊が戻って、即座に起き上がりました。そこで彼は彼女に食べるものを与えるように命じました。彼女の両親は驚愕しました。しかし彼は彼らに、起こったことを誰にも言わないように命じました。

*( )は原文にないが説明のために付加した部分

 

 出血に苦しむ女性のことで時間を費やしている間に、ヤイロが恐れていたことが起こりました。娘が死んだという知らせです。彼は会堂長という地位と名誉もかなぐり捨てて、若きラビの前にひれ伏しましたが、それも徒労に終わりました。娘の死と共に主イエスに対する信仰も死にました。ヤイロはその場に力なくくずおれ、倒れ伏してしまったことでしょう。しかしそのヤイロに主イエスは呼びかけました。「恐れなくてもいいです。ただ信じなさい。そうすれば救われます」と。しかし娘は死んでしまったのです。今さら何を信じればよいのでしょうか。半信半疑の思いの中ヤイロは人々に抱えられるようにして自宅に向かいます。そのときのヤイロの信仰とは、たとえ娘は死んでも主が生き返らせてくださるという揺るぎない信仰だったでしょか。いいえ。いまさら何ができるのかという疑い混じりの思いではなかったでしょうか。しかしそれでも主イエスは「ただ信じなさい」と呼びかけるのです。まるで信じられないヤイロの代りに、主イエスが信じてくださっているかのような言葉でした。信仰とはほど遠い疑念の中で、ヤイロは主イエスの後について行きます。すると主イエスは救いを起こしてくださいました。「ただ信じなさい。」それはわたしが主を信じ抜くということではなく、主がわたしの代りに信じてくださる、その信仰をいただくということに他なりません。信仰は主ご自身が与えてくださるものなのです。