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8月30日(ルカ8章1~3節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ8章1~3節 自ら持てる物をもって主に仕える〕

 さて、それに続いて起こったことですが、彼(イエス)自身が神の国の福音を言い広め、そしてそれを宣べ伝えながら、町から町、村から村へと巡って旅を続けられました。また十二人も彼と一緒(にいました)。そして悪霊と病気からすっかりいやされた何人かの女性たちも(一緒でした)。(それは)七つの悪霊が出て行ってしまっていたマグダラの(女)と呼ばれるマリア、そしてヘロデの管理人クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、さらに他に多くの女性たちで、(彼女たちは)自分たちの所有物から、彼らに世話をし続けていました。

*( )は説明のために付加した言葉で原文にはない。

 

 マグダラのマリアは、主イエスによって七つの悪霊を追い出してもらった女性でした。自分ではどうすることもできない何か大きな力に支配され、自己制御できない状態と重い精神疾患の中で苦しんでいたところを、主イエスによって救い出され、いやされたのでした。そこでマリアは、それ以降の人生を主イエスに献げ、自らの持てる物をもって主イエスに仕えました。他にも同じように主イエスによっていやされた女性たちがいて、彼女と行動を共にしました。そのように女性たちが主イエスの巡回伝道に付き添うのは、当時ではスキャンダラスな出来事と受け止められましたが、しかし主イエスはそんな彼女たちの奉仕を受け入れ、弟子として迎え入れていかれたのでした。マリアをはじめとする彼女たちが、このように主イエスに仕えたのは、主イエスに対する心からの感謝と愛から生じた自発的なものでした。同じことがわたしたちにも求められているのではないでしょうか。主イエスによって罪を赦され、聖められ、永遠の命に生きる者とされた恵みを感謝して、主イエスに仕えていくのです。それは教会に仕える働きであったり、「この最も小さい者の中の一人」に仕える働きであるかもしれません。それがどのような働きであれ、主イエスから委ねられ、期待されている働きに自分自身を献げ、自分の持てるすべてをもって主イエスに仕えていきたいと思います。マリアたちと同じように、心からの感謝と愛をもって。