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5月31日(ルカ6章22〜23、26~28節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章22232628節 敵を愛し祝福する〕

 人の子のために、人間たちがあなたがたを憎むなら、そしてあなたがたを排除するなら、あるいは悪口を言うなら、またあたかも邪悪な者たちであるかのようにあなたがたの(キリスト者としての)名を軽蔑するなら、あなたがたは幸せだ。その日には喜びなさい。踊りなさい。見なさい。あなたがたの天における報酬は大きいからだ。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしてきたからだ。・・・

 すべての人間たちが、あなたがたを良く言うときは、不幸〔災い〕だ。彼らの先祖たちも、偽預言者たちに同じことをしてきたからだ。

しかし(わたしの話を)聞いているあなたがたにわたしは言う。あなたがたの敵たちを愛し続けなさい。あなたがたを憎んでいる者たちに良いこと〔親切〕を行い続けなさい。あなたがたについてののしる者たちを祝福し続けなさい。あなたがたを虐待〔侮辱〕している者たちのために祈り続けなさい。

( )は補足のための説明で原文にはない語、〔 〕は別の訳の可能性

 

 わたしたちがキリスト者であるという理由で人々から憎まれ、排除され、悪口を言われ、侮辱されるとき、幸いだと主イエスは言われました。わたしたちがそのような理不尽な扱いを受けるのは、キリスト者であるがゆえです。わたしたちがキリスト者としてこの世で生きていこうとするとき、そこには様々な摩擦が生じ、問題に直面します。この世の因習や習俗に従わず、協調しないため、悪しざまに言われることがあります。焼香をするかしないかということで家族との間に摩擦が生じます。こうしてキリスト者としてこの世に生きていて直面する問題の中で、わたしたちが排斥されたり、侮辱されたりするときの心構えを主イエスは語られました。「あなたがたの敵たちを愛し続けなさい。あなたがたを憎んでいる者たちに良いことを行い続けなさい。あなたがたについてののしる者たちを祝福し続けなさい。あなたがたを虐待している者たちのために祈り続けなさい」と。ここでは理不尽な扱いを受けている具体的な場面を想定して、これらのことが語られています。たしかに敵を愛し、侮辱する人を祝福することは難しいことです。しかし悪を悪で返すのではなく、善で返すことによって、それに打ち勝ち、呪いを祝福に変えることが求められます。そのことは誰よりも主イエスご自身がわたしたちにしてくださったことでした。十字架の上で敵を赦された主イエスに倣って、わたしたちも敵を愛する者とされていきましょう。