第2講 唯一の神

第2講 ただ一人の唯一の神

「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は、わたしのほかにはない。地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ」

イザヤ書45章5、22

1.一人の神か、八百八万(やおよろず)の神々か
 多くの方から、キリスト教の神さまを信じるのはよいが、神がどうして一人しかおられないのか分からない、とよく聞かれます。しかし、もし本当に神がおられるなら、それは「お一人」だけのはずではないでしょうか。もしそうでないと、色々な矛盾が起きて来るからです。ある店に泥棒が入り、店のご主人は大変困って、近くの神社にお参りに行きました。一方、その店に入った泥棒も自分が捕まらないように、そして自分の泥棒家業が繁盛するようにと神様にお願いし、盗んだお金で賽銭を投げ入れました。それでははたしてどちらの願いが聞かれるのでしょうか。お店の主人の神様でしょうか、それとも泥棒の神様でしょうか。日本は「八百八万(やおよろず)の神々」といって、実に無数の神々がいるかのように考えられ、また拝まれています。そしてそれぞれが自分のご利益を宣伝して、信者をかき集めています。そして「こっちの水が甘いぞ」という具合に、それぞれの神々が互いに出し抜き合って、信者を獲得しようと必死です。しかしそれではたして真理や真実、正義は成り立つでしょうか。

もし本当に神がおられるとしたら、神はお一人のはずです。アメリカの神、スペインの神、中国の神と、神がたくさんいたら、一番力の強い神が真理で正義ということになります。戦争の大好きな神が一番であれば、武力こそ正義ということになり、暴力や腕力の強い人の言うことが真理になります。それはおかしいのです。神が本当におられ、この世に真理や正義が成り立つには、まことの神はただお一人のはずだし、唯一の神でなければなりません。「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は、わたしのほかにはない」とは、まさにそのことを語っている御言葉なのです。

2.神が唯一であるとは
 聖書では、繰り返して「まことの神」はただお一人であり、「唯一の神」であると語ります。神が「唯一」であるとは、数において一つ、一人というだけではなくて、ご自身の中で統一し、一貫しておられるということでもあります。神ご自身の中で自己矛盾することがなく、心変わりすることがない、昨日言ったことと今日言うこととが違うということがない御方だということです。人間は心変わりし、その熱心さも信仰も変化していきますが、神はそうではありません。裏腹なところがなく、わたしたちに対する約束を誠実に守りぬく御方なのです。そしてそれが永遠に一貫しておられる御方だから、心から信頼していくことができるのであり、それが神が唯一であるということなのです。多神教の神々は違います。互いが互いを出し抜きあって、自分に対する信者を獲得し、一人でも多く信者をかき集めようとします。そしてそれぞれに自分のご利益(りやく)ばかりを宣伝して信仰させようとする神々は、それを信じる者たちをも歪めていきます。わたしたちは、自分で知らずして、自分の信じ、拝む神々を鏡として生きるようになるからです。

3.人間の鏡となる神
 遊園地によくミラーハウスがあります。様々な種類の鏡があり、その前に立つと色々な姿の自分を見ることができます。ずんぐりになったり、のっぽになったり、ひょろひょろになったり、いずれも自分を写し出す鏡によって自分の自己像は変わっていきます。歪んだ鏡で自分を見ると、歪んだままの自己像を持つことになります。だからわたしたちには「正しい鏡」が必要です。ですから歪んだ鏡を持つ人は、歪んだ人間となっていきます。頭は良いが心は冷たいとか、口先は上手だが儲けしか考えないとか、人がどんなに困ろうと人を蹴落としても自分がのし上がろうとするとか、いずれも商売繁盛・無病息災・交通安全・家内安全など、自己中心的なお願いを満足させるだけの神々を拝み、それを自分の鏡としていく人間は、自分も自己中心になり、人の痛みも悲しみも理解せず、人を踏み台にして自分の願望を満足させ、自己実現を果たしていく人間となっていきます。唯一の神を知らず、八百八万(やおよろず)の神々を拝む日本人だから、エコノミック・アニマルになれるのであり、なったのです。ご利益(りやく)ばかりを宣伝して、自分にばかり引き付けさせていく自己中心な神々を拝む人間は、その自己中心な神々に影響されて、心までひずんだ心になり、統一を失って人生もばらばらになっていくのです。

しかし唯一の神を信じ、この神を鏡として生きる者は、その神の統一された人格と、一貫した誠実な姿勢に深い感化を受け、自らの人生も一貫したものとなっていきます。ですから唯一の神だけを信じ、統一され、一貫した唯一の神を、自分の神、また人生の主として信じることを心からお勧めします。それだけが、自分の人生を統一され、一貫したものとしていくことができるからです。永遠の神は、永遠の見通しの中であなたの人生を見ていてくださいます。そしてその永遠の確かさで、あなたの人生を導いてもくださるのです。それは運命にもてあそばれる、見通しのきかない人生ではなく、見通しを持たれた方の確かさと一貫性の中で歩んでいく、統一された人生なのです。「わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は、わたしのほかにはない。地の果てのすべての人々よ、わたしを仰いで、救いを得よ」。唯一の神からの、この真実な呼びかけに、あなたもぜひ応えていってください。