〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ6章17~20、24節 神の国はあなたがたのもの〕
そして彼(イエス)は彼らと共に(山から)下りてきて、平らな場所の上に立ちました。すると彼の弟子たちの大勢の群衆と、またユダヤ全体とエルサレム、およびティルスとシドンの海岸地方からの大勢の人々が(そこにいました)。彼らは彼から(話を)聞くために、また彼らの数々の病気をいやしてもらうために来ていました。そして数々の汚れた霊によって苦しめられていた人々は次々といやされました。そして群衆のすべてが彼に必死でさわろうとしていました。彼から力が出て来て、すべての人々を次々といやしていたからでした。
そこで彼自身は彼の両目を上げて彼の弟子たちに向けながら、語りました。
「貧しい人々は幸せだ。神の国はあなたがたのものなのだから。・・・
しかしながらあなたたち金持ちは不幸だ。あなたがたは、あなたがたの慰めを受け取っているからだ。
山を下りてこられた主イエスの前には大勢の群衆が待っていました。彼らの多くは病人で、その病気をいやしていただくために主イエスを待っていたのでした。そのような人々に主は話されました。「貧しい人々は幸せだ」と。そこで貧しい人々と言われているのは単に貧困に苦しんでいるというだけではなく、病気を抱えてそれを治すお金もなく、様々な問題に押しひしがれながら苦しみ悩みつつ生きている人々です。そんな人々を前にして主イエスは彼らこそ幸せだと言われたのでした。旧約聖書では貧しい人とは、神を信頼し、神に寄り頼んで生きる信仰深い敬虔な人を意味しました。「この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救ってくださった」とあるように、貧しい人々を神は見捨てることなく、ご自身の救いの中に招き入れてくださいます。それが「神の国」で、神の国とは神が御心のままに支配しておられる恵みの領域のことです。神を信頼し、神に寄り頼んで生きる人は、もうすでにこの神の国、神の恵みの支配の許に置かれて守られているのです。富む者は神に寄り頼むことがありませんから、この神の恵みの支配を知りません。しかし貧しい人は神にしか寄り頼む方がいませんから、当然のように神の恵みの許に留まるようになります。だから幸せなのです。なぜなら神は、このような彼らを慈しみ、守り、ご自身の恵みの支配の中で支えていってくださるからです。だから貧しい人は幸せなのです。