今週の御言葉

神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-25

27 キリストのヘリ下りは、どの点にありましたか。

 

 キリストのへり下りは、次の点にありました。キリストが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架の呪いの死とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まられたことです。

 

〔今週の御言葉 フィリピ2章3~11節 仲介者キリストのへり下り〕

 

恵みの契約の仲介者であるキリストは、贖い主として「謙卑と高挙」のいずれの状態においても、預言者と祭司と王の職務を遂行されます。そこでまずキリストの謙卑、つまりへり下りの状態とは何かが問われます。それは「キリストが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架の呪いの死とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まられたこと」でした。これは高挙の状態がどうであったかと比較すると分かります。それは「キリストが三日目によみがえられたこと、天に昇られたこと、父なる神の右に座しておられること、終わりの日に世をさばくためにこられること」です。それは死を打ち破って復活され、天に昇り、父なる神の右に座して、この世を統治され、終わりの日には最後の審判をもって裁かれるということです。このようにやがて後には栄光の輝きの中で世を統治し、審判を下される方が、その審判の下にある被造物、人間の一人となり、人間に代わって、人間が受けるべき神の裁きと罰とを受けてくださったのです。そしてそのためには、人間と全く同じにならなければなりませんでした。しかも最も低く小さい者としてです。このように高慢であったわたしたち人間の罪の贖いのために、とことん低くなり、律法の下に徹頭徹尾へり下ってくださった方に、心からの栄光と賛美と感謝をささげていきたいと思います。