いつも主にあって喜びなさい(フィリピの信徒への手紙講解) 第6講:キリストの福音にふさわしい生き方(フィリピ1章27~30節、2024年4月28日)

 

 

〔今週の御言葉-私訳と黙想 フィリピ1章2730節 キリストの福音にふさわしい生き方〕

27 ただキリストの福音にふさわしい生活をしなさい。そうすれば、わたしが行って、あなたがたに会うとしても、わたしがいないとしても、あなたがたについてわたしは聞くでしょう。あなたがたが一つの霊によって立っており、一つの思いをもって福音の信仰のために共に奮闘しており、28 そして敵対する人たちによって、何一つおびえさせられることはないと。そのことは彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。そしてこのことは神によることです。29 あなたがたはキリストのために恵みを授けられます。すなわち、ただ彼(キリスト)を信じることだけではなく、彼のために苦しむということです。30 あなたがたは、以前わたしにおいて見たこと、また今聞いていることと同じ戦いをしているのです。

 

パウロは「キリストの福音にふさわしい生活をしなさい」と勧めます。「キリストの福音にふさわしい生活」とは、どのような生き方なのでしょうか。倫理的に欠陥のない聖人君子のような生き方をすることでしょうか。信仰者として完成された完全な信仰者となるということでしょうか。パウロはそれが、「あなたがたが一つの霊によって立っており、一つの思いをもって福音の信仰のために共に奮闘しており、そして敵対する人たちによって、何一つおびえさせられることはない」ことだと語ります。まず「一つの霊」によって立つことです。そして「一つの思い」を持つということです。そうすることで「敵対する人たちによって、何一つおびえさせられることはない」ということです。この最後の「おびえさせられることはない」という言葉は、動揺させられないとか、ひるんだりしないとか、驚かされることがないとも訳すことができる言葉です。このようにして「福音の信仰のために共に奮闘」するということです。わたしたちはそれぞれ個別に孤独な信仰の戦いをしているのではなく、教会の兄弟姉妹と一緒になって一緒に戦っているのです。兄弟姉妹は戦友でもあるのです。同じ釜の飯を食べ、寝食を共にし、様々な危険にさらされながらも、互いに助け合って戦うのです。同じ釜の飯を食べるとは、同じ霊の糧を共にいただくことです。そしてそれぞれに弱さがありますから、互いに合いおぎ合いながら共に戦うのです。