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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第63講:信仰により義とされる(使徒言行録13章26~41節-2)

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

63講:信仰により義とされる(使徒言行録132641節-2)

 

〔今週の御言葉 使徒132641節2 信仰により義とされる

 

 約束に基づく主イエスの到来と、この方による罪の赦しと復活の希望を語ったパウロは、「信じる者は皆、この方によって義とされる」と結論します。神の前に「義とされる」、それをユダヤ人は律法によってだと考えてきました。「律法による義」です。それは自分が善い行いをすることによって獲得する「行いによる義」でした。善行を積み上げることで自分を義としていくことです。キリストに出会う前のサウロも、それを一生懸命に追い求めてきました。そして彼は、自分が「律法の義については非のうちどころのない者」だと胸を張って自己主張することができるほど、この「律法による義」に精進していました。ところが主イエスと出会い、目が開かれたパウロは、こう言うようになりました。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失とみなすようになったのです。・・・わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰の義、信仰に基づいて神から与えられる義があります」と。ここでパウロが主張する義とは、「律法から生じる自分の義」ではなくて、「信仰に基づいて神から与えられる義」です。自分が一生懸命に苦行、修練、努力をすることで獲得する義、自分の力や努力によって得られる義ではなく、ただ神から恵みによって与えられる義です。キリストの完全な義を、ただ神の一方的な恵みと憐れみのゆえに信仰によっていただく、それが「信仰による義」です。