第16講 教会の純潔と戒規

第16課:教会の秩序と平和を維持するための政治と戒規

 

1.純潔と平和を維持する

最後に考えていただくことは、「日本キリスト改革派教会の政治と戒規」についてです。日本キリスト改革派教会の政治と戒規とは、何でしょうか。それは、「教会の純潔と平和を維持するための秩序」です。そのようなものが必要なのは、わたしたちが罪人だからです。教会は完全にされた聖人の集まりではなく、罪人の集まりです。ですからそこには、教会らしくない争いや問題も起こってきます。誤った教えや考えを語って教会を混乱させたり、福音に反する生活をする人が入り込んで、弱い人をつまずかせたり、教会を惑わすことも起こります。このような混乱によって、教会が分裂してしまうこともあります。そのような問題に直面したとき、どのように対処していき、どうしたら秩序を回復し、平和を取り戻すことができるかということのために、「教会の純潔と平和を維持するための秩序」が必要となってきます。教会に混乱が生じたとき、そこに正しい秩序を与え、信仰と生活の純潔と平和を保っていくための秩序の規準が必要です。問題が生じたときには、誰それの意見でも、みんなの考えでもなく、どこまでもその基準に照らして、公正に問題が処理されていくようにはかります。そこでその責任を誰が取るのか、どのように解決していくのか、その手順はどのようなものか、そういったことについての決められた規準を持ち、それに従って解決をはかることで、秩序は回復されていき、平和が維持されていくようになります。そのように教会に秩序を与え、「信仰と生活における純潔と平和を維持するため」に与えられた仕組み、それが教会政治です。様々な考えと多様な個性をもった人々が集められる共同体が、「一つの群れ」として形成されていくためには秩序が必要であり、その秩序が維持されている中で、教会は教えと生活の「純潔」を保ち、「平和」を享受していくことができます。その「教会の純潔と平和を維持するための秩序」が教会政治なのです。こうして教会政治とは、教会が様々な問題を経ていく中にあっても混乱することなく、教会として形成され続け、秩序を維持していけるように定められた手段のことなのです。

 

2.教会政治の根拠としての「キリストの権能」

このように教会が教会政治を行うことの根拠は、「キリストの権能」、つまりキリストが父なる神から与えられた統治権に基づきます。この権能は、天と地の一切のものを支配し統治する権利(統治権)のことで、父なる神が持っておられる世界に対する支配権と統治権を与えられて、キリストが代理者として執行する「権能」です。そのキリストの権能が、頭であるキリストから、キリストの体である教会に与えられました。こうして教会政治は、教会の頭である「主イエス・キリストの権能」を根拠とし、それに基づいて執行されますが、この「キリストの権能」は、具体的には「人間の代理人」によって行使されます。日本キリスト改革派教会では、教会に与えられた「キリストの権能」が、長老たち(宣教長老の牧師と治会長老)に委ねられ、この長老たちによる会議(話し合い)によって執行されると考えます。教会は、長老たちによる会議によって統治されるのです。

 

各個教会における長老会議を「小会」と言いますが、この小会が果たすことは、教会員の霊的成長と指導管理です。具体的には、礼拝と集会を主催し、教会内の教理を守り、説教が真に聖書的であるか否かを吟味し、説教の結ぶ実を監督するということです。そうして教会員の霊的状態を常に監督し、指導をしていきます。信仰の弱っている者を励まし、行状の悪い者を叱責して、その個々人の信仰的成長と共に、教会全体の成長を監督していきます。そしてそのために必要な教育計画を立てて実施し、会堂や施設の営繕管理を行い、伝道活動を推進していきます。しかしその指導に服さず、群れの純潔と平和を乱す者には「戒規」を執行し、また教会員にふさわしいと判断した方を教会に入会させます。これらの活動の中心にあることが、キリストより委託された「霊的権能」の行使、すなわち「天国の鍵」(マタイ16章19節)の行使なのです。

 

3.「天の国の鍵」の行使としての戒規

主は、「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18章18節)と宣言されました。またペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたときに、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と約束されました(マタイ16章18、19節)。このように教会の頭であるキリストは、ご自身の教会に「天の国の鍵」を与えられたのですが、それは天の国の扉を開けたり閉めたりする鍵のことで、誰が天の国に入り、誰が入れないかを見極め、吟味するところの権威として教会に与えられたものであり、それが教会に与えられた「キリストの権能」でした。これを見える形で現わすのが「戒規」です。教会は誰を教会員として入会させ、そこから除名するかの権威を、キリストご自身から与えられていると信じています。

 

この「キリストの権能」は、「霊的」なもので、その統治は、終わりの日の裁きまで霊的に執行されていきます。つまり武力や威嚇、強制による「力の支配」ではなく、悔い改めへの熱心な促しと神の憐れみによる励ましと支えという「愛の支配」によって為されるもので、御言葉による宣教とそれに聞き従う心へと促す聖霊の内なる働きかけによって為され、具体的には「教会訓練」すなわち「教育」と「戒規」という形で果されていきます(マタイ18章15~17節)。小会が、この重要な務めをしっかりと果たして、健全な教会形成をしていくことができるように、教会員となられる皆さん一人一人が祈り、そして協力していただきたいと願います。この教会に入会するにあたり、皆さんが誓約される最後の項目は、この教会の小会の牧会と霊的指導に服していただき、共に教会の純潔と平和の維持のために力を合わせることだということを、覚えていただきたいと思います。