· 

平和の主がくださる平安

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ2章8~14節 平和の主がくださる平安〕

 さて、羊飼いたちがその土地で野宿をしており、自分たちの羊の群れのために、夜の見張り番で見張りをしていました。すると、主の御使いが彼らの側に立ち、主の栄光が彼らのまわりを照らしたので、彼らは大きな恐れを恐れました。そこで彼らに、その御使いは言いました。「恐れてはいけません。見なさい、わたしはあなたがたに、すべての民にとってこのうえもない喜びである、良い知らせを伝えます。あなたがたのために、今日、救い主がダヴィデの町(ベトレヘム)にお生れになりました。この方は、主でありキリストです。そしてこのことはあなたがたのためのしるしです。布にくるまれた乳飲み子が飼い葉おけの中に横たえられているのを、あなたがたは見るでしょう。」すると突然、その御使いと共に、天の軍勢の大群が現れ、神を賛美して言いました。「いと高きところでは、栄光が神に(ありますように)。地には平和が、神に喜ばれる人に(ありますように)。」 

*( )は説明のための付加

 

 

夜通し野宿をして羊の番をしていた羊飼いたちに、救い主誕生の知らせが伝えられました。彼らはたまたま野外に居たのでそれを目撃することができたというのではなく、神はわざわざ彼らの許に御使いを遣わして、その知らせを伝えさせたのです。なぜならその日お生まれになった方とは、まさしく彼らのための救い主であったからでした。住民登録の数に入れられず、人間と見なされないで動物扱いを受けていた彼ら羊飼いのために、救い主がお生まれになりました。だからその救い主も人間扱いを受けることなく、家畜小屋で飼い葉おけの中にお生まれになられたのでした。この方が来られたのは、「地に平和」をもたらすためでした。その「平和」は何事も起こらない平穏無事な意味での平和ではなく、困難な問題の中で勇気をもって立つことができるための平安であり、苦しい場面のただ中にあって穏やかでいることができる、そういう「平和」です。どんなにつらい局面でも、それに振り回されることがない「穏やかさ」であり、どんなに困難な場合に直面しても揺るがされることのない「安き」です。このような「平和」を与えるために、平和の主がおいでくださったのでした。そしてこの方を心に迎え入れる者には、主の平和が心に満ち溢れていき、この平安の中で、それぞれの困難へと立ち向かっていくようにされるのです。