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主を大きくする

〔今週の御言葉-私訳と黙想 ルカ1章46~49節a わたしを顧みられる神〕

 そしてマリアムは言った。「わたしの魂は主を大きくします。そしてわたしの霊は神を、救い主を喜び踊ります。なぜなら彼の女奴隷の卑しさに目を留められたからです。ご覧なさい。今からはすべての世代(の人々)が、わたしを幸いだと言うでしょう。それは力である方が、わたしに大きなことを行ってくださったからです。

 

 

エリサベトの許を訪れたマリアは、エリサベトの祝福を聞いて神を賛美し始めます。神はわたしに「大きな」ことをしてくださった。だからわたしも神を「大きく」すると。神がマリアにしてくださった「大きな」こととは、小さく貧しく卑しいマリア、この世的には無きに等しい無価値な彼女に目を留めて、彼女を「大きく」してくださったということでした。神がマリアに目を留めてくださったとは、絶えず御顔を彼女に向け続けてくださるということでした。つまりそれは彼女が神にとって「大きな」存在、価値ある大切なかけがえのない者と見なしているということです。マリアが神を「大きく」する前に、神が彼女をご自身の中で「大きい」者としてくださった、そうしてご自身にとってなくてはならない大切な存在として見てくださったということです。マリアがメシアの母とされたことや、それ以前・以後に神から与えられる溢れるほどの恵みも祝福でした。しかし何よりも、第一に神がマリアをそのように恵みを注ぐに値する者と見なしてくださり、ご自身の中で「大きい」存在としてくださったことこそ、神がマリアにしてくださった「大きな」ことではないでしょうか。サライの許から逃げてきた女奴隷ハガルをも顧みて、彼女に対するご自身の憐れみに気づかせてくださったように、この方はわたしたちにとってもエル・ロイ「わたしを顧みてくださる神」です。そのまなざしで今日も守られているのです。