聖定の遂行「被造物への責任を果たされる創造主」

〔今週の御言葉 イザヤ46章3、4節 被造物への責任を果たされる創造主〕

 

 前回は神の聖定について考えました。問答はさらにその聖定がどのように遂行されたかを問い、それは創造と摂理の御業においてだと答えます。「神の聖定とは、それによって神が、御自身の栄光のために、起こってくることは何事であれすべて前もって定めておられる、そのような御心の計らいに従った、神の永遠の計画」のことです。聖定は天地創造前の永遠の昔において計られたことで、それが時間と空間の世界において、歴史の中でどのように実現されていったかを問います。それは創造と摂理の御業においてだと。ここで「創造」と「摂理」とが切り離しえないものとして同時に語られていることに心を向けてください。たしかに時間的展開としては、まず創造の御業が起こされ、それからそれを保持し、統治する摂理の御業が続きます。しかし万物を有へと在らしめることにされた創造と、それを維持し、継続させる摂理とは、切り離せない関係にあります。つまり神はこの世界を造りっぱなしのままで、あとはなるがままに任せた、放り投げてしまわれたということではないのです。神はこの世界を造られた、その責任を取られます。たとえこの世界が堕落し、罪の世となっても、それで神はこの世界を、そしてわたしたちを放り投げて見捨ててしまわれるのではなく、捨ててしまわれるのでもないということです。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」と約束してくださる恵みの主なのです。