神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み -『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰- 問2 どうしたら神に栄光を帰し、神を喜びとすることができるかについて、 わたしたちを導くために、神はどのような規範を与えておられますか。

神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとする歩み

-『ウェストミンスター小教理問答』に学ぶキリスト教信仰-

 

問2 どうしたら神に栄光を帰し、神を喜びとすることができるかについて、

わたしたちを導くために、神はどのような規範を与えておられますか。

 

神の言葉(それは旧約と新約の聖書に含まれています)が、どうしたら神に栄光を帰し、神を喜びとすることができるかについて、わたしたちを導く唯一の規範です。

 

〔今週の御言葉 2テモテ3章16節 特別啓示としての聖書の必要性〕

 神は御自身を二つの方法によって啓示されています。一つは創造と摂理という神の御業で、「自然啓示」と言います。今日でもこの自然啓示は神を十分に啓示し続けていますが、それを受容する人間の能力(本性の光)が堕落によって著しく毀損し、十分に機能しなくなってしまいました。さらに堕落したことにより、罪からの救いを必要とするようになりました。そのため神はわたしたちが罪から救われるために必要な啓示、「特別啓示」を用意されました。旧新約時代に神は、神顕・幻・預言・奇跡といった様々な方法で御自身を啓示してこられましたが、それらが腐敗しないで正確に伝達されるために、それを文書化されました。そのために霊感という方法で特別啓示を書物にまとめられました。それが聖書です。つまり聖書は霊感という特別啓示によって記された「特別啓示の記録」であるわけですが、かつて為された他の方法は今日ではもう停止されているため、今日においては聖書こそが特別啓示であり、神の言葉そのものとなりました。その中心にあるのは、神の言葉であるイエス・キリストで、聖書はキリストを啓示するための書物です。ですからわたしたちは聖書を通してイエス・キリストによって救われ、交わりを持たなければなりません。聖霊がわたしたちの内に生きて働かれることによって心を新しくすると共に、御言葉を心に照らしてくださることで聖書を神の言葉として理解し、信じさせてくださるのです。