インマヌエルであるイエス・キリスト(マタイ1章18~25節)

2021年待降節第4主日 マタイの福音書で辿るクリスマス物語(20211219日)

第3講:インマヌエルであるイエス・キリスト(マタイ1章1825節)

 

〔今週の御言葉:マタイによる福音書1章1825節 インマヌエルである主イエス〕

 

 主イエスの誕生はイザヤが預言したことでした。インマヌエル、それは「神は我々と共におられる」という意味ですが、このことこそ神がアブラハムとダビデそしてイスラエルに約束したことでした。主イエスの誕生に用いられるマリアも、「おめでとう、恵まれた方」と呼びかけられました。その意味は、「主があなたと共におられ」ることにありました。何かあれやこれやの事柄ではなく、何よりも神がわたしたちと共にいてくださること、それが神の恵みなのです。神はアブラハム以来その子孫イスラエルの民とずっと共にいてくださいました。この神の臨在は雲と火の柱、幕屋、神殿という形で示されてきました。しかしその本体であるイエス・キリストがおいでになられる、神御自身が人間となって人間の間に住まれる、こうして「神は我々と共におられる」という契約は成就するのです。マタイの福音書は、このインマヌエルという約束を福音書の最初と最後に記すことで、イエス・キリストがインマヌエルなる方であることを明らかにします。インマヌエル、それはクリスマスの夜に実現しました。そしてそのインマヌエルである主が、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」のです。この方は、あなたとも共にいてくださいます。あなたが孤独で寂しい時も、問題に直面して立ち往生する時も、深い悲しみに突き落とされる時も、どんな時でもインマヌエルでいてくださるのです。この方を心に迎え入れましょう。