創造から終末に至る神の救いの計画 第27講:恵みの手段としての「祈祷」 マタイ6章25~34節

創造から終末に至る神の救いの計画

27講:恵みの手段としての「祈祷」 マタイ6章2534節 7月18

 

【今週の御言葉 マタイ6章2534節 恵みの手段としての「祈祷」】

 

神が御自身の恵みをわたしたちに伝達してくださる恵みの手段の第三は、「祈祷」です。祈りは誰でもするもので同じだと考える方がいるかもしれません。しかし祈るという行為は同じであっても、祈る対象には違いがあります。何よりわたしたちキリスト者は、「父なる神」と呼びかけて祈ります。御子と聖霊を呼んでも良いのですが、「父なる神」に祈るは、主がそのように祈ることを教えられたからです。さらにわたしたちはキリストの御名によって祈ります。それも主が御自分の名によって祈るように求められたからです。御子なるキリストは、天において神の右に座して、わたしたちのために執り成し祈ってくださっています。わたしたちの祈りは、この御子による執り成しの祈りの中に包まれて、共に祈られています。さらにわたしたちは、どう祈ったらよいか分かりませんが、聖霊が内にあってわたしたちの祈りを執り成してくださいます。わたしたちには、「アッバ、父よ」と祈る御子の霊が与えられており、その霊によって祈るのです。このようにわたしたちの祈りは、外(天)と内(心)の両側からの執り成しの中で、父へと祈られています。わたしたちの祈りそのものが三位一体の構造となっている、その意味でもわたしたちキリスト者の祈りは、他の人たちの祈りとは全く違うものとなっているのです。天の父は、わたしたちの必要のすべてをご存じの上で、祈り求めるようにとわたしたちを祈りへと促されるのです。