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聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解) 第50講:かもしかと呼ばれたタビタ(使徒言行録9章36~43節) 

聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)

50講:かもしかと呼ばれたタビタ(使徒言行録9章3643節) 5月2日

 

〔今週の御言葉 使徒93643節 ドルカス(かもしか)と呼ばれたタビタ

 

 ペトロはドルカス(かもしか)と呼ばれたタビタの遺体が安置されていた部屋に招かれます。ドルカスの周りには、生前彼女から世話を受けていた「やもめ」たちが取り巻き、彼女の死をいたみ悲しんでいました。そして彼女たちはペトロに「ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せ」、口々に彼女の無償の善行を語りながら涙に暮れるのでした。ドルカスは多くの貧しいやもめたちを支え、経済的にも具体的にもさらには精神的にも励ましながら、彼女たちと「共に生きる」生活を実践してきたことがうかがえます。ドルカスは自分のためには何も残しませんでしたが、彼女たちの心に多くのものを残す人生を送ったのでした。彼女が「かもしか」と呼ばれたのは、「善い行いと施し」をするのに、物惜しみすることなく、誰よりも早く気がついて、誰よりも早く困っている人の許に駆けつけ、誰よりも早く慰め励ます人だった、そんな彼女の敏捷さと機敏さ、フットワークのよさからだったのではないでしょうか。物惜しみすることなく人々のために尽くす彼女は、かもしかのように愛らしい人だったのかもしれません。「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた、主の言葉を文字通り実践して生きた主の弟子の姿がここにありました。「一生を終えて後、わたしたちに残るものは、わたしたちが集めたものではなく、わたしたちが与えたものだ」と言われます。わたしたちの人生は、どうでしょうか。