聖霊の力による使徒の働きと教会の発展(使徒言行録講解)
第47講:エルサレムでの主にある赦しと和解(使徒言行録9章26~31節)
〔今週の御言葉 使徒9章26~31節 エルサレムでの主にある赦しと和解〕
エルサレムに帰還したサウロを、エルサレム教会は喜んで迎え入れたでしょうか。兄弟たちは、初めはサウロが回心したことが信じ難く、遠巻きに見るようにして近づこうとはしなかったのかもしれません。またかつて迫害者であったサウロに痛めつけられたり、ひどい目に遭わされた人々もいたでしょうから、サウロが回心したからと言って、もろ手を挙げて迎え入れるというようにはなりにくかった面は否めないかもしれません。その意味でエルサレムでの二週間の滞在は、サウロにとって決して居心地の良いものではなかったのではないかと一般には考えられています。まるで針の筵にいるような思いで、いたたまれず滞在を二週間で切り上げて早々に退散したのだと。しかし果たしてそうでしょうか。確かに最初の内はぎこちない関係であったかもしれませんが、バルナバがサウロを紹介すると、エルサレム教会の人々は次第に心を開き、ついには仲間として迎え入れたのではないかと想像します。もちろん兄弟たちの中には、かつてのサウロによってひどい目に遭わされた人たちもいたことでしょうし、かつての彼の迫害は、そう簡単に忘れられるというものではなかったかもしれません。しかし彼ら自身も主イエスによって変えられたように、サウロも変えられたことを見た彼らは、かつても恩讐を越えて、主にある赦しと和解をし、彼を仲間として迎え入れ、主にある交わりを持つに至ったのではないかと考えられます。