創造から終末に至る神の救いの計画 第3講:「命の契約」の違反と堕落と死 創世記3章1~9節(10月11日)

【今週の御言葉:創世記3章1~9節 「命の契約」の違反と堕落と死】

 「神の像」として神に似せて創造された人間は、神との豊かな愛の交わりに生きることを求められて、そのしるしとして「命の契約」を結びました。最初の人間は完全な者として造られ決して不完全な者だったわけではありません。しかし神の愛に自発的に喜んで応答できるよう完全な自由も与えられました。それは神を愛し、その戒めに服従することも、神の愛を拒絶し、神に服従しないこともできる自由でした。神がそうされたのは、人間が完全な自由の中で、自分から喜んで神に服従し、神を愛することを選び取ってほしかったからでした。神を愛することしかできないという状態においては、それは真実な愛ではないからです。しかし最初の人間は、その自由をもって、神からの愛の呼びかけを拒絶し、戒めを破って、神に服従しないことを選び取りました。食べると必ず死ぬと言われた木の実は、実自体に毒があるわけではなく、そうした身体的な死ではなく、霊的な死、つまり神との愛の関係が断絶し、交わりが断絶することを意味しました。以来人間は神との関係が失われた「死」の状態で生まれるようになりました。命の源である神との断絶は、人間に霊的死と共に、最初に与えられていた原義を喪失し、人間性全体に及ぶ腐敗をもたらしました。そしてアダムを祖とする全人類がこの全的堕落に陥ることになりました。人間は生まれながらに神に敵対し、自らに罪の刑罰と悲惨を招く者となってしまったのでした。