死の先にあること-終末の希望に生きる 1コリント15章42~58節

【今週の御言葉 1コリント15章42~58節 死の先にあること-終末の希望に生きる】

 わたしたちキリスト者にとって、死は希望です。死はわたしたちの生涯につきまとう罪との戦いの終結であり、永遠の命の入り口だからです。罪の結果もたらされる肉体の死においても、信仰者の体は主なるキリストの守りの中に置かれ、復活の時まで墓で憩います。そしてわたしたちの魂は、ただちに天におられる主イエスの許へと引き上げられます。そして終わりの時に、わたしたちの、罪にまみれ病気や老いや弱さに満ちた体は「霊の体」となって復活し、魂も体もまったく新しくされます。このことは生涯を病気や障害で苦しめられた人にとっては大きな希望と慰めです。またわたしたちの魂も新しくされるだけではなく、主と同じ姿へと完全に聖化され、栄光化されます。世の終わりの後に新しい天と新しい地が来て、堕落し罪と暴虐に満ちた地が、完成された新しい地に変えられます。そこでわたしたちは永遠に主と共にいることができ、また兄弟姉妹と共に憩うのです。死に際してもわたしたちは恐れることがありません。死の陰の谷を行く時も、主が共にいてくださるからです。その先にあるのは永遠の命です。わたしたちの目の涙はことごとく拭い去られ、もはや悲しみも苦しみも嘆きも労苦もありません。こうして主イエスの血によって立てられた新しい契約は完成します。そうして「神が人と共に住み、人は神の民となる」約束が成就します。義の栄冠が待っています。それを目指して日々歩んで行きましょう。