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7月12日(使徒言行録7章30〜38節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒7章30~38節 モーセを仲介して結ばれた契約〕

 そして40年が満ちると、シナイ山の荒れ野において、御使いが柴の火の炎の中で彼に現れました。そこでモーセはその幻を見て不思議に思い続け、よく見ようと近寄って行ったとき、主の声が起こりました。「わたしはあなたの父祖たちの神、アブラハムとイサクとヤコブの神(である)。」しかしモーセは震え上がり、あえてよく見ようとはしませんでした。そこで主は彼に言いました。「あなたの足の履き物を脱ぎなさい。なぜならあなたが立っている場所は聖なる地だからだ。わたしはエジプトでのわたしの民への虐待を確かに見た。そして彼らのうめきを聞いた。そしてわたしは彼らを救い出すために降って来た。さあ今わたしはあなたをエジプトに遣わそう。」「だれがお前を支配者そして裁判官に任命したのか」と言って人々が拒絶したこのモーセを、神は柴の中で彼に現れた御使いの手で支配者として救済者として遣わされたのです。この人は彼らを連れ出して、エジプトの地の中で、そして紅海の中で、そして荒れ野の中で40年間、数々の不思議と奇跡を行いました。この人がイスラエルの子孫たちに、「神はわたしのように、あなたがたのためにあなたがたの兄弟たちの中から一人の預言者を立ち上がらせられるでしょう」と言ったあのモーセです。この人がシナイ山において、彼に語る御使いやわたしたちの先祖たちと共に荒れ野の集会にいて、生ける言葉を受けてわたしたちに与えてくれました。

 

出エジプトしたイスラエルの民は、神の山ホレブで神と契約を結びました。彼らはすでにアブラハム契約の基にありましたが、ここでさらに新たに契約が結ばれたのは、契約というものは本人の自覚なしに自動的に適用されるものではなく、本人の主体的意思に基づいて結ばれるものだからでした。イスラエルの民は割礼を受けることにより、アブラハム契約によって神の民とされていました。その彼らが今度は「神の民」らしく生きるようになり、「聖なる民」とされていくために、彼らに生き方の指針が与えられた、それが律法と呼ばれるものでした。神の民イスラエルは、ここで与えられた律法を遵守することによって、聖なる民とされていくのです。アブラハム契約においても、その契約締結に当たっては動物犠牲の血が流されましたが、モーセ契約においても、犠牲の血が流され、その血が降り注がれることによって締結されます。契約は血を流すことにより、契約の血が流されることにおいて締結されます。このことから聖餐を考える必要があります。そこでもキリストの血が流されたことが語られます。そしてキリストの血が契約の血として流されたことにより、新しい契約が締結されました。わたしたちはこの血の犠牲と贖いによって神の民とされました。そこでわたしたちが神の民として生きるために与えられたのが、律法です。律法を守り行うことによっていよいよ聖なる民へと整えられていきたいと思います。