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6月14日(使徒言行録7章20〜29節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒7章20~29節 モーセを訓練される忍耐の神〕

 その時にモーセは生まれました。彼は神に対して美しく、3か月父の家において養育されました。ところが棄てられた彼をファラオの娘が拾い上げ、自分自身の息子に育て上げました。そしてモーセはエジプト人のすべての知恵をもって教育されました。そして彼は彼の言葉と行いにおいて力強い人になりました。

 

ところが彼が40歳の時が満ちたとき、彼の心に彼の兄弟であるイスラエルの子孫たちを顧みようとする心が上がってきました。そして彼はある人が虐待されているのを見て、助け、酷使されていた人のための仕返しをし、そのエジプト人を撃ち殺しました。彼は、神が彼の手を通して彼ら(イスラエルの民)に救いを与えてくださるということを、兄弟たちが理解してくれると思っていました。しかし彼らは理解しませんでした。次の日、争っている彼らに彼が現れました。そして彼は彼らに言って平和を促しました。「あなたがたは兄弟ではありませんか。なぜあなたがたは互いに傷つけ合っているのですか。」しかし隣人を虐待していた人が彼を押しのけて言いました。「だれがあなたをわたしたちの上の支配者や裁判官に任命したのか。あなたは昨日エジプト人を殺したやり方で、わたしを殺そうと願っているのか。」そこでこの言葉によってモーセは逃亡し、ミディアンの地において寄留の者となりました。そこで彼は二人の息子たちを生みました。

 

 エジプト中に増え広がるイスラエルの民に脅威を覚えたファラオは男児殺害を命じます。その時にモーセが生まれますが三か月家にかくまわれた後、ナイル川に棄てられます。しかし不憫に思った王女が彼を救い、母親の許で育てられるようになり、成長してからは王子として迎えられます。ここに神の深い計らいがあったことを見ることができます。幼少期にレビ族の母親の手で育てられたことで、自分がアブラハムの子孫でありイスラエル民族の一員であることを覚えさせられます。王子として引き取られると、彼は当時一流の文明国であったエジプトの最高の教育を受けることになります。後にファラオとして立つために必要な帝王教育でした。それが後にイスラエルの民を一つの民族として統治するうえで役立つことになります。何より彼は自分がイスラエルの民を救うために立てられていることを自覚し、その機会をうかがいます。ところが虐げられている同胞を助けたことでエジプト人を殺害したことが発覚し、彼は命からがらエジプトを逃れてミディアンの地へと逃亡することになります。そしてそこで今度は一介の羊飼いとして生活することになりますが、それも後にイスラエルを荒れ野で生活させていくうえで必要な知恵を用意させることになります。しかし彼はさらに受けなければならない訓練がありました。それは自分がイスラエルを救うという自負心と自信が打ち砕かれて、全く神に従順になることでした。