· 

6月7日(使徒言行録7章17〜19節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒7章17~19節 イスラエルと共にいた契約の神〕

 ところで神がアブラハムに約束した約束の時が近づき続けるにつれて、(イスラエル)民は増え広がり、エジプトの中に増え広がりました。ヨセフを知らない別の王(ファラオ)が出現しました。この人はわたしたちの民族に策略をめぐらしてわたしたちの父祖たちに危害を加え、生かしておかないようにその赤子を棄てさせるということを行いました。

 

ヨセフの許でエジプトに下ったヤコブの家族は民族としてエジプト中に増え広がりました。しかしそのことに危機を覚えたファラオによって虐待が加えられ、民族抹殺が謀られるようになります。イスラエルの民は奴隷に貶められて、過酷を極めた重労働にあえぎ苦しむことになります。そこで「イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた」のですが、それだけではなく「神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルを顧み、御心に留められた」のでした。エジプトで虐待され、苦しめられている彼らの叫びを聞かれた神は、「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約」を思い起こされることで彼らを救い出そうとするのでした。ここでの神の救いは、単なる思いつきやあてにならない同情によるものではなくて神ご自身がイスラエルと結んだ「契約」に基づいて為されることなのでした。このようにイスラエルの神は、わたしたちと「恵みの契約」を結ばれると共に、それをわたしたちに対して真実に果たしてくださる神です。今わたしたちは未曽有の困難に直面しながら生活しています。しかしこの災厄も神のあずかり知らないところで起きたことではなく、すべては神の御手の内にあり、神の救いのご計画の中で起こされていくことです。わたしたちの信じる神は「契約の神」であることを覚えていきたいと思います。