· 

3月22日(使徒言行録4章23〜31節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒4章23~31節 福音宣教のために祈る群れ

 さて釈放された彼ら(ペトロとヨハネ)は仲間たちのところに来て、祭司長たちと長老たちが言ったことをすべて報告しました。そこで聞いた人々は一つ心で、神に向かって声をあげて言いました。「主よ、あなたは天と地と海とそれらの中のすべてのものを造られた方です。わたしたちの先祖、あなたの僕ダビデの口を通して、聖霊によって言われました。『なぜ諸国民は立ち騒ぎ、諸々の民はむなしいことを企てるのか。地の王たちは立ち向かい、指導者たちは主と彼のキリストに逆らって共に集まった』と。実際に彼らはあなたの聖なる僕イエスに逆らって、この都に集まり、あなたが油を注いだ方に、ヘロデとポンティオ・ピラトは異邦人たちとイスラエルの民衆と共に(集まりました)。あなたの御手とあなたの御旨が起こるように、あらかじめ定められていたことのすべてを行いました。そこで今、主よ、彼らの脅かしに御目を留めてください。そしてあなたの僕たちにこの上ない大胆さをもってあなたの御言葉を語らせてください。あなたの御手を伸ばして、あなたの聖なる僕イエスの名によって、いやしとしるしと奇跡が起こりますように。」そして彼らが嘆願して【祈って】いると、彼らが集まっていた場所が揺り動かされ、すべての人々が聖霊に満ち溢れて、神の御言葉を大胆に語り続けていました。

 

 最高法院での脅しと威嚇を聞いた教会は、それについての善後策を練ったり、今後の対応を協議したのではなく、祈りました。わたしたちは目の前に困難が立ちふさがった時、真っ先に何をするでしょうか。新たな脅威に直面した時、どうするでしょうか。生まれたばかりの教会は、祈りました。自分たち人間の知恵を駆使して危機を乗り越えようとか、人間的な方策を練って対処しようとしたのではなく、祈ったのです。神を呼び求め、神の助けと守りに身を委ねていきました。しかもその祈りは、自分たちを助けてください、守ってくださいという祈りではなく、目の前の脅威と困難を前にしながら、それでも屈することなく大胆に御言葉を語ることができるようにしてくださいと祈ったのです。この祈りの姿勢に、彼らがどこを見て生きているのか、その目の先にあるのは何かが明らかにされています。彼らは自分たちを見たのでも、目の前の問題を見たのでもなく、それらの全てを支配し、御手の内に導いておられる主を見たのです。そしてその主の助けと守りの中で、自分たちが主から託された使命を果たすことができるようにと祈りました。教会がこの世に置かれている理由、それは福音宣教です。神の国の福音を語り伝える伝道、それこそが教会の使命です。わたしたちは何にためにここに集まり、祈り、礼拝しているでしょうか。伝道のためです。礼拝そのものが伝道です。この使命を全うできるように祈りましょう。