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3月15日(使徒言行録4章1〜22節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒4章1~22節 臨在する主の約束と共に

 ところが彼ら(ペトロとヨハネ)が民衆に語り続けているときに、祭司たちと神殿の守衛長とサドカイ派の人々が彼らに近寄って来ました。彼らが民衆に教え、イエスについて死者たちからの起き上がり【復活】を宣べ伝えていることにいら立ち、彼らは彼ら(ペトロとヨハネ)に手をかけて、翌日まで牢獄に留置しました。なぜならすでに夕方になっていたからでした。しかし御言葉を聞いた多くの人々は信じました。そして男たちの数はおよそ五千人になりました。さて翌日になると、彼らの指導者たち、長老たち、律法学者たちがエルサレムに召集されました。それに大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロス、そして大祭司の一族の者たちの誰も(召集されました)。そして彼らは彼ら(ペトロとヨハネ)を真ん中に立たせて尋問しました。「どのような権威あるいは誰の名においてお前たちはこのことを行ったのか」と。

 

 そのときペトロは聖霊に満ち溢れ、彼らに向かって言いました。「民衆の指導者たちと長老たち、もしわたしたちが今日取り調べられているのが、病気の人への善い業に基づいて、この人が何によっていやされたのかということなら、あなたがたのすべてとイスラエルの民衆のすべてに知られるものでありなさい。ナザレのイエス・キリスト、あなたがたが十字架につけた方で、神が死者たちから起き上がらせ【復活させ】た方の名によって、この人がいやされてあなたがたの前に立っているのです。この方こそ、あなたがた家を建てる者たちによって棄てられ、隅のかしら石になった石です。そして救いは(この方以外は)他の誰にもありません。というのは、人間に与えられて、それによってわたしたちが必ず救われる名は、天の下において他にはないからです。」

 

 彼らはペトロとヨハネの大胆さを見て、彼らが無学で普通の人間であることが分かり驚き、それと同時に彼らがずっとイエスと一緒にいたことを知りました。しかしいやされた人が彼らと共に立っているのを見て、誰一人言い返せずにいました。そこで彼らは彼らを最高法院の外に退席するように命じてから、互いに協議し続けて言いました。「これらの人たちにわたしたちは何を行いましょうか。というのは彼らを通して為された奇跡はエルサレムに住むすべての人々に知られ、明らかなので、わたしたちは否定することができない。しかしもっと多くの民衆の中に広まらないように、人々の誰にもこの名によって二度と語ってはならないと彼らを脅そう。」そして彼らを呼んで、イエスの名によって語ることも教えることもいっさいしてはならないと彼らに命じました。

 

 しかしペトロとヨハネは答えて彼らに向かって言いました。「わたしたちが神に聞くよりもあなたがたに聞くことが、神の前で義しいかどうか、あなたがたが判断しなさい。なぜならわたしたちは、わたしたちが見たことと聞いたことを語らないでいることはできないからです。」そこで彼らはさらに脅してから、彼ら(ペトロとヨハネ)を釈放しました。民衆のために彼らをどのように罰するか何も見出させませんでした。それは起こされた出来事のゆえにすべての人々が神を崇めていたからでした。いやしのこのしるしが為された人は、40を超えていました。

 

 最高法院の議員たちは「ペトロとヨハネの大胆さを見て、彼らが無学で普通の人間であることが分かり驚き」ました。このような輩は威圧し、脅迫することで黙らせることができると考えた彼らは、二度とイエスの名によって語ってはならないと脅します。ところが「わたしたちが神に聞くよりもあなたがたに聞くことが、神の前で義しいかどうか、あなたがたが判断しなさい」と言い返されてしまいます。そして「なぜならわたしたちは、わたしたちが見たことと聞いたことを語らないでいることはできないからです」と続けます。彼らの大胆さは何に由来するのでしょうか。少し前までは逮捕を恐れて、中から鍵をかけて部屋に閉じこもっていた彼らが、どうしてこれほど大胆になったのでしょうか。聖霊に満たされたから。それはそうですが、さらには聖霊によって彼らに主イエスが臨在し、共にいてくださることを確信できたからではないでしょうか。イエスの名によって足の不自由な人にいやしを命じることができたのも、目に見えない主が自分たちと共にいてくださることの確信から出たことではないでしょうか。主が共にいてくださる、それがわたしたちをも勇気づけ、大胆にします。聖霊においてわたしたちの許に臨在してくださり、内から力を与えて、弱いわたしたちを奮い立たせてくださる、臨在の主の恵みの中で、今週も堅く立っていきましょう。「わたしはあなたと共にいる」という主の約束を握りしめながら。