2月9日(使徒言行録2章28〜40節)

〔今週の御言葉-私訳と黙想 使徒2章28~40節 悔い改めと洗礼への招き

 兄弟たち、先祖ダビデについてはあなたがたに対してはっきり言えます。すなわち彼は死んで葬られました。そして彼の墓はこの日に至るまでわたしたちの中にあります。ところで彼は預言者だったので、神が彼に誓いをもって誓ったことを知っていました。『彼の腰の実【子孫】から彼の王座に就かせる』と。彼はキリストの復活について前もって見たので語りました。『彼はハデス【陰府】の中に見捨てられることはなく、その肉体が朽ち果てるのを見ることはない』と。このイエスを神は起き上がらせ【復活させ】ました。わたしたちはみな、その証人です。ですから彼は神の右側に引き上げられ、聖霊の約束を父から受けて、これを注ぎ出しました。あなたがた自身がそれを見て、聞いています。ダビデは天に上りませんでした。彼自身が言っています。『主はわたしの主に言われた。あなたはわたしの右側に座りなさい。わたしがあなたの敵を、あなたの両足の足台として置くまで』と。ですからイスラエルの全家はこのことをしっかりと知りなさい。神が主となし、またキリストとしたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのだということを。」

 そこで聞いた人々は心を突き刺され、ペトロと他の使徒たちに向かって言いました。「兄弟たちである人たち、わたしたちは何を行うのでしょうか。」そこでペトロは彼らに向かって言いました。「悔い改めなさい。」また彼は言いました。「あなたがたはあなたがたの罪の赦しのために各々イエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。すると聖霊の賜物を受けるでしょう。その約束は、あなたがたとあなたがたの子どもたちと遠くにいるすべての人々、すなわちわたしたちの神である主が呼び寄せるすべての人々のためのものだからです。同じように彼はもっと多くの言葉で熱心に証言し、彼らに呼び掛けて言いました。「邪悪なこの時代【世代】から救われなさい」と。

 

聖霊に満たされたペトロは主イエスの復活を力強く宣べ伝えると共に、人々に激しく迫りました。「神が主となし、またキリストとしたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのだ」と。この言葉に聞いていた人々は心を突き刺されて、自分たちはどうしたらよいかと尋ねました。それに対してペトロは「悔い改めなさい。罪の赦しのために洗礼を受けなさい。」と勧めました。そうすることで「邪悪なこの時代から救われ」るのです。そのためにはまず、心から悔い改めてまことの神へと立ち帰ることです。悔い改めとは単に思いを改めて悔いるという表面的なことではなく、心の向きを180度変えることです。これまでは死と滅びに向かって罪の中を歩んできました。そこから方向転換してこれからは命と祝福に向かって恵みの中を歩むのです。そうすることで生き方を変えることです。そしてそのしるしとして洗礼を受けるのです。洗礼には、信じて受ける者には「罪の赦し」を与える効力があります。ちょうど汚れた体を水で洗い流してきれいにするように、洗礼は「新たに造りかえる洗い」であり、わたしたちの罪を洗い流してわたしたちを聖くし、「聖霊によって新しく生まれさせ」ていきます。悔い改めるとは、これまでの罪に生きる「古い自分」を脱ぎ捨てることです。そしてキリストの命に生きる「新しい自分」へと新しく変えられるのです。それはどこまでも聖霊がわたしたちに為してくださる恵みなのです。